1、はじめに
この問題については、少年法61条が少年の氏名等の身元を特定する情報の公表を禁止していることから、次の事件での週刊誌の報道が問題となった。平成6年の一連の殺人事件(長良川リンチ殺人事件)(①事件)と平成10年1月の堺市通り魔殺人事件(②事件)である。0それぞれの事件について、週刊誌の報道がどこまで許されるかが問題となったものである。以下、それぞれの事件の概要を述べたうえで、裁判所の判断を踏まえてどのように考えるべきかについて述べてみる。
2、事件の概要
①事件は、当時18歳であった少年は、当時19歳であった別の少年とともに、大阪市の路上を通行中の青年にいいがかりをつけ、たまり場となっていたマンションの一室に連れ込んだうえで暴行を加え、殺害し、死体を毛布に包んでガムテープで固定し高知県安芸郡の山中に遺棄し(大阪事件)、また、愛知県稲沢市で、いずれも19歳の他の少年とともに青年に暴行を加え、愛知県木曽川祖父江緑地公園駐車場まで連れて行ってさらに暴行を加え、さらに尾西市の木曽川左岸堤防上で頭部等をカーボンパイプで殴打するなどの暴行を加えて瀕死の重傷を負わせたうえで河川敷にけ落とし、河川敷の雑木林内まで両手足をもってひきずって遺棄して立ち去り、その青年を死亡させて殺害し(木曽川事件)、さらに、金品を奪うために、他の少年らと共謀のうえ、三人の青年を自動車に監禁して連れ回し、暴行を加え、そのうち二人については長良川右岸堤防東側河川敷で金属製パイプで頭部等を殴打して死亡させ、もうひとりについてはコンビニの駐車場に駐車中に金属製パイプで頭部等を殴打し頭部外傷等の傷害を与えた(長良川事件)というものである。
また、②事件は、大阪府堺市において、シンナー吸引中に幻覚に支配された少年が、文化包丁をもって、登校途中の女子高生を刺して重傷を負わせたあと、幼稚園の送迎バスを待っていた母子らを襲い、逃げまどい転倒した5歳の幼女に馬乗りになって背中を突き刺して殺害し、さらに娘を守ろうとしておおいかぶさった母親の背中にも包丁を突き立てて重傷を負わせたというものであり、いずれの事件も凶悪重大な事件である。
3、裁判所の判断
そこで、それぞれの事件について、裁判所の判断の経過を見ていくこととする。まず、①事件については、一審の名古屋地方裁判所は、名誉棄損の成立は否定したが、プライバシーの権利の侵害について、仮名は用いられているが、本名と音が類似しており、原告の同一性は隠蔽されておらず、さらに記事の経歴や交友関係などにより原告と面識のある不特定多数の読者はそれが原告のことであると容易に推知できるとし、本人と推知されない法的利益よりも明らかに社会的利益の擁護が強く優先される特段の事情があったとは認められないことから、不法行為を構成するとして、慰謝料30万円の損害賠償を命じた。控訴審の名古屋高等裁判所も一審の結論を維持したが、理由中の判断において一歩踏み込み、少年法61条を権利保護規定と位置づけた上、成長発達権なるものを少年にとっての基本的人権の一つと観念できるとした。しかし、最高裁判所は、少年法61条違反の推知報道かどうかについては、判断基準をあくまでも「不特定多数の一般人」として否定し、成長発達権については審理の対象から除外した上で、もっぱら名誉棄損・プライバシー侵害の違法性阻却事由の有無についてさらに審理を尽くさせるため、名古屋高等裁判所に破棄差戻をした。そして、差戻し後の名古屋高等裁判所は、少年時の犯行だからといって直ちに公共の利害に関する事実は否定されないとして、一審判決を取り消し、損害賠償請求を棄却した。
つぎに、②事件については、一審の大阪地方裁判所は、本件が悪質重大な事件で社会一般に大きな不安と衝撃を与えたことを認めながらも、原告が現行犯逮捕され、さらなる被害を防ぐために社会防衛上氏名等を公表する必要がある場合ではなく、本件事件の態様の悪質性、程度の重大性や社会一般の関心をもってしても、原告の氏名等を公表されない利益をうわまわるような特段の必要性があったとは思われないとして、慰謝料等250万円の損害賠償を命じた。しかし、控訴審の大阪高等裁判所は、一審を覆す判断を下した。まず、大阪高等裁判所は、プライバシー権、肖像権、名誉権を侵害された場合には不法行為となりうることを認めたが、憲法21条の保障する表現の自由とプライバシー権等との調整においては、表現の自由の憲法上の優越的地位を考慮しながら慎重に判断しなければならないとし、「表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権等の侵害とはならないと解するのが相当である。」とした上で、犯罪容疑者についても、犯罪の内容・性質にもよるが、犯罪行為との関連において、そのプライバシーが社会の正当な関心事になりうるとした。また、プライバシー権の侵害とは別に、みだりに実名を公開されない人格的利益が法的保護に値する利益として認められるのは、「その報道の対象となる当該個人について、社会生活上特別保護されるべき事情がある場合に限られるのであって、そうでない限り、実名報道は違法性のない行為として認容されるというべきである。」とした。そして、少年法61条については、刑事政策的配慮に根拠を置く規定であるから、少年時に罪を犯した少年に対し実名で報道されない権利を付与していると解することはできないとした。そのうえで、本件は被害者および犯行現場の近隣にとどまらず、社会一般に大きな不安と衝撃を与えた事件であり、社会的に正当な関心事であったと認められるとし、本件記事の表現内容・方法の不当性については、無罪推定の原則などに照らし、犯罪報道については匿名であることが望ましいが、他方で被疑者等の特定は犯罪ニュースの基本的要素であって犯罪事実と並んで重要な関心事であるから、少なくとも凶悪重大な事件において現行犯逮捕されたような場合には、実名報道も正当として是認されるとした。そして本件の場合きわめて凶悪重大な事件であり、原告が現行犯逮捕されていること、なんの因縁もないのにもかかわらず無残にも殺傷された被害者側の心情も考慮すれば、実名報道をしたことが原告に対する権利侵害とはいえないとしたものである。これに対し元少年は上告したが、その後、自ら上告を取り下げた。キリスト教の牧師と交流して「許してもらわなければいけない自分が相手を許さないのは間違っている」という心境に達したからだと伝えられる。しかし、成長発達権の理念を掲げて提訴を勧め、訴訟活動を続けてきた弁護士に事前の相談もなく取り下げたことが、人間としての成長発達の証としてどの程度評価できるか、また、何が少年の成長発達を支援することになるのかを考えさせられる事案である。(以上、松井茂記「少年事件の実名報道は許されないのか」日本評論社 2000年11月、飯室勝彦「事件報道に大きな影響を与える長良川事件・最高裁判決」法学セミナー No.582 109頁 2003年6月 参照)
4、どのように考えるべきか
少年法61条を権利保護規定と考えるか、刑事政策的規定と考えるかということから結論が出る問題ではなく、一般社会生活との関係で、犯罪を犯した少年の更生にとって何が求められるかということから考えなければならない問題である。この問題は、犯罪を犯した少年の犯罪時の年齢、生育環境や犯行時の家庭環境、犯罪に至った動機、犯罪の態様や結果の凶悪性・重大性、犯罪後の行動、被害者感情や社会一般の受け止めや社会に対する影響などから、個別具体的に考えていかなければならない。
近時、18歳から選挙権が認められ、民法の成人年齢も18歳に引き下げるかどうか議論があることからも、人の生命や身体にかかわる重大事案に限り、18歳からは犯人の推知報道も原則として許されると解すべきではないだろうか。そして、18未満については、少年法61条をできるだけ尊重するかたちで、事件の内容を個別具体的に検討したうえで考えることになるであろう。
この点、神戸市須磨区で平成9年に起きた児童連続殺傷事件から今年で19年になるが、当時14歳だった元少年が昨年手記を出版したことに関連し、被害者土師淳君(当時11歳)の父親の守さんが、「加害男性への教育は何の意味もなかった」と心境を吐露していることをどのように受け止めるべきか、われわれにとって重い課題である。