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ラディカル・デモクラシーと分散型技術

1、「ラディカル」と言えば、「過激な」とか「急進的な」という意味を思い浮かべがちであるが、ここでは「根源的な」とか「根本的な」という意味で使うことをお断りしておく。したがって、ラディカル・デモクラシーとは、根源的なデモクラシー、つまり、草の根民主主義や参加型民主主義のことを意味している。では、どのように分散型技術と結びつくのかかが今回の話題である。

 

2、2017(平成29)年12月から2020(令和2)年3月にかけて、日本経済新聞紙上で度々注目されている人物がいる。台湾で分散型技術を使い行政に「市民の声」を取り込む試みを進めている唐鳳(オードリー・タン)氏である。30代半ばでデジタル担当相に就任した異才で、若者らが立法院(国会)を占拠した2014年の「ひまわり学生運動」では、民間ハッカーとして活躍していたとのことである。唐氏は、2016年10月に政権に参加すると、分散型技術のオンライン・プラットホームを通じて、新たな請願システムや、政府が提案する規制やインフラ建設計画などへの意見を取り入れている。唐氏は、ネットを利用した民意くみ取りの意義について「政治家や業界団体への発言力を持たない若い世代でも、政治に参加することはできる」と説明し、行政の情報公開の拡大についても「政府自体がデジタル化すれば、もっと安く簡単に情報公開できる」としている(日本経済新聞2017(29).12.27 台湾、広がる草の根民主主義)。

 

3、もう一つ、分散型技術が参加型民主主義に利用されているのが、重み付け投票である。これは、一つの議題に対して賛成か反対かの二者択一ではなく、一つの議題に含まれている複数の争点について、デジタル・プラットホームを通じて自分がどこをどのように重視しているかを表明できる手法であり、予算の割り当てや人員の配置割合などに適している。米コロラド州議会の下院歳出委員会では、4000万ドル(約44億円)の予算に対して提案された100以上の使い道の案のどれにどのように予算を割り当てるかを決めていく際に、重み付け投票を使い迅速に答えを導き出した例もあるようである(日本経済新聞2020(令和2).221 英フィナンシャル・タイムズのコラム 民主主義を鍛える「分散化」グローバル・ビジネス・コメンテーター ラナ・フォルーハー)。

 

4、分散型技術をうまく利用することによって、参加型民主主義を実現することは可能なようであるが、個の力がより強まる分散型ネットにおける倫理やルールをしっかりしておかなければ、今度は個人が価値観でつながり新たな対立を生むことにもなるので、政治が世界全体の設計に携わり、広範な知見がインストールされるように働きかけなければならない(日本経済新聞2020(令和2).3.22 風見鶏 ディストピアからの脱出)。

「くじ引き」民主主義について~選挙制と抽選制

1、「くじ引き」すなわち抽選制は、古代アテナイから民主主義の方式とされてきた伝統をもち、選挙制は貴族主義の方式だと長らく理解されてきた。しかし、18世紀のアメリカ革命やフランス革命以降、抽選制ではなく民主主義といえば選挙制だと考えられるようになった。

 

2、しかるに、現在の選挙制にもとづく民主主義は、株主資本主義からくる環境問題、移民問題のほか、グローバル化により肥大化したGAFAなどの寡占企業の経済活動による貧富の格差拡大の影響もあって、ナショナリズムやポピュリズムが台頭し機能不全と思われる状態に陥っている。日本の議会制民主主義においても、国会審議は形骸化して個々の法案の採決を左右しているとはいいがたく、また、次の総選挙での政権選択に結びついているとも言いがたい上、現在の国会議員には世襲議員や野心家が少なくないこともあって、政治不信からくる投票率の低下を招き、地方選挙においては無投票当選の増加現象も出てきている。

 

3、このような現況において、1冊の本が注目を集めている。日本においては、2019(平成31)年4月に翻訳・初版された、ダーヴイット・ヴァン・レイブルック(以下、レイブルックという)の「選挙制を疑う」(法政大学出版局)という本である。レイブルックは、ヨーロッパを代表する知識人の一人とされていり、現在、特定の研究機関には所属せず、ベルギーのブリュッセルを拠点に活躍している作家であるが、レイブルックの診断によると、民主主義疲れ症候群の原因は、現在の議会制民主主義それ自体にあるわけではなく、政治家のポピュリズムや専門家集団(テクノクラシー)の専横にあるのでもなく、代表を選挙で選出する選挙制にあるとし、対案として、代表をくじ引きで選出する抽選制の議会制民主主義、より正確にいえば、選挙制と抽選制の並立形態である二重代表制を模索している。

 

4、レイブルックの指摘にもあるように、有権者による統制すなわち正当性の点では、有権者が総選挙で審判を下せる選挙制のほうが優れており、能力という点でも、無能な候補者が淘汰され、政党によって支えられる選挙制のほうが優れているが、政治的機会の平等や公平な熟議という点では抽選制のほうが優れている。それは議員の選出に多様性が生まれ、金銭やイデオロギーの影響をうけにくく、政党や選挙民からより自由な立場にあるといえるからである。このように選挙制と抽選制には一長一短があるが、選挙制か抽選制の二者択一ではなく、両者の長所を組み合わせて相乗効果をもたらすことを考えていくべきであろう。

 

5、日本においても、「くじ」はしばしば利用されており、同時に申請された商標登録の優先順位、公売における落札者の決定、国民審査に付される最高裁裁判官の告示の順序、裁判員の選任などに利用されているほか、公職選挙法上の選挙において投票同数の場合の当選者の決定や国会における内閣総理大臣の指名においても投票同数の場合は「くじ」によるものとされている。「くじ」には偶然の要素はあるものの、低い投票率の選挙における一部の有権者の恣意や、業界団体・関係者等からの特殊利害の圧力を政治から排除できるという利点があるので、一定の合理性はあるといえる。

 

6、フランスにおいては、「黄色いベスト運動」に苦慮したマクロン大統領が、国民大討論会を重ねた末、新たな民主主義の手法として、人口構成を正確に反映するよう、性別、年齢、職業、学歴、居住地をもとに「くじ引き」で議員を抽出し、全国から選ばれた市民150人がパリ16区のイエナ宮で気候市民会議の議員とし、「社会的公正を守りながら温暖化ガスを2030年までに1990年比40%削減する」ための正式な政策と財源を策定している。最終案の発表は2020年4月とのことである(日本経済新聞 2020.1.12 風見鶏「プラトンと『民主主義3.0』」)。普段は政治家に対する不満ばかり言っていた市民が、ある日突然、責任をもって決断しなければならなくなる立場に置かれることは、政治の代謝を高め活性化させるといえる面がある。

 

7、レイブルックの「選挙制を疑う」の訳者である岡崎晴輝氏は、現役の法学部教授のまま裁判員に選出されるという得がたい機会に恵まれたことをきっかけとしてこの本を翻訳することになったが、その意味で抽選ないし偶然がこの本の上梓に作用していることになる。そして、岡崎氏は、政治学者として、抽選制による議会論を日本の国会に応用した場合、参議院議員を無作為抽出された有権者からの抽選制による市民院にするという試案を提示しておられるが(岡崎晴輝「選挙制と抽選制」 辻村みよ子責任編集 憲法研究2019.11)、能力や負担のほか憲法改正の問題も絡んでくるものの傾聴に値する議論であると思われる、

 

 

衆議院解散は内閣総理大臣のフリーハンドか

1、2020(令和2)年の政局の関心事は衆議院解散の時期である。というのも、現衆議院議員の任期は2021(令和3)年10月であるが、解散権を実質上握っている内閣総理大臣(首相)安倍晋三氏の自民党総裁としての任期は同年9月であることから、今後の政治日程や後継者と目される人を含めた自民党内の動勢との兼ね合いで、マスコミや政治関係者の間で大きな話題になるからである。

 

2、衆議院の解散権は憲法上は内閣にあるが(憲法7条本文および3号、同69条)、内閣の一体性から内閣総理大臣には国務大臣である閣僚を罷免することができるので(同68条2項)、実質上、内閣総理大臣である首相が解散権を行使できることになる。実際、2005(平成17)年の小泉純一郎首相は、閣議で解散に賛成しなかった農水大臣を罷免して「郵政解散」を断行している。では、内閣総理大臣はいつでも好きな時に解散権を行使できるのであろうか。この点について、解散権の根拠を確認した上で、解散権の限界を検討することとする。

 

3、解散権の根拠については、憲法上、7条説と69条説等があるが、天皇の国事行為としての「衆議院を解散すること」の「助言と承認」を内閣がすることから7条説が通説となっている。司法においても、1957(昭和32)年の吉田内閣による「抜き打ち解散」で衆議院議員を失職した苫米地義三氏が、解散の無効を理由に議員の地位確認と議員歳費支払いを求めた訴訟において、最高裁大法廷は、4裁判官の意見が付されたものの、7条説を事実上承認したうえで、解散のような「極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為」は司法判断の対象とならないとして請求を斥けている。ちなみに、この「(純粋な)統治行為論」は、同時期に大法廷に回付されていた砂川事件における「(変形的な)統治行為論」の形成に中心的役割を果たした入江俊郎最高裁判事の主導によるものであるとされている(嘉多山宗「統治構造において司法権が果たすべき役割[第5回] 判例時報2385号128頁)。

 

4、では、解散権の限界はどのよう画されるのであろうか。この問題は、憲法学上、これまでの7条説的慣行を含めた実例や今後の実践をどのように規範的に位置づけるべきかという問題であり、これまで政治道徳、憲法上の習律ないしは法的要請などと言われてきたものである。この点、少し古く政治的なものではあるが、1952(昭和27)年6月17日に国会の両院放棄委員会が衆議院解散に関して勧告を出しており、それによると内閣の裁量解散可能説を支持するものであったが、同時に、内閣の裁量を「あらたに国民の総意を問う必要がありと客観的に判断されうる十分な理由がある場合」に限定するものであり、「解散は、いやしくも、内閣の恣意的判断によってなされることのないようにせねばならない」と念を押した上で、「衆議院が解散に関する決議を成立せしめた場合には、これを尊重し、憲法第7条により解散の助言と承認を行うがごとき慣例を樹立することが望まし」いとも述べられている(山本龍彦ほか「憲法判例から見る日本」第12章 日本の解散権は自由すぎる!? 258頁 日本評論社 2016年9月)。この点からすると、衆参同時選挙は余程のことでもない限り恣意的なものとなるであろう。

 

5、憲法と同時に施行された地方自治法にも憲法69条と同じ仕組みの規定があり、法178条によれば自治体の議会が長(知事または市町村長)の不信任の議決をしたときには、長は議会を解散することができるとされており、自治体の場合は首長がそのまま解散するが、国の場合には天皇の国事行為とされただけであり、憲法7条の国事行為として「憲法改正の公布」があるからと言って内閣が憲法改正をできないのと同様に、同条を根拠に内閣は衆議院解散をできないと言えなくもないが、実務慣行を前提とするとしても、やはり予算が否決されたとか重要法案を巡って国論が大きく分かれたときなど内閣不信任に匹敵するようなことがある場合に限られるべきであろうとする議論にはある意味説得力があるというべきである(片山善博「衆院解散の根拠」中国新聞 オピニオン 2017(平成29)年11月21日)。

 

6、内閣が恣意的に解散権を行使すると、参議院議員の半数改選選挙も3年に1回あることから、国民は選挙疲れで関心が薄れていくことも否めない。前回の2017(平成29)年10月22日の衆議院議員選挙当時、それまでの10年で当該選挙を含めて7回国政選挙が行われていることになるが、英国、ドイツは過去10年で3回、フランスは大統領・議会選が2回、米国は大統領・議会選は3回、議会中間選挙は2回の計5回に比べるといかにも多い感がある。日本が議院内閣制の範とする英国では、2011(平成23)年に首相が都合のいい時に解散権を行使するのを制限するために、議員の任期を5年に固定し、解散には下院議員の3分の2以上の賛成が要るようにしている(日本経済新聞 大機小機 2017(平成29)年10月7日)。もっとも、EU離脱をめぐり議会が混乱しているような場合は、「総選挙を12月に実施する」という新法を過半数で可決して総選挙に持ち込むという奇策もありうるのかもしれないが。ともあれ、安倍首相には、解散権の行使について安易に憲法改正の問題にもっていくことなく、解散権の原点に戻って考えていただきたいものである。

天皇陛下の生前退位について

 

1、天皇陛下が、ビデオメッセージ「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」において、退位の意向をにじませられたのが、平成28年8月8日のことである。これに先立って、NHKによる「天皇陛下『生前退位』の意向」のスクープが報じられていたが、当初、宮内庁はこれを否定するなど不自然な経緯はあったものの、天皇陛下の「おことば」は、「現行の皇室制度に具体的に触れることは控え」、「個人として、これまでに考えて来たことを話したい」とお断りなっていることから、現行憲法上の「天皇」という立場にもとづく制約にご配慮されたものであった。この「おことば」を契機として、現行憲法上の疑義からか、「天皇の公務の負担軽減等に関する」という冠称の「有識者会議」が発足し、実質上、天皇の退位をメインテーマとする議論が始まった。天皇の退位に反対意見を述べる有識者も一定数いたものの、衆議院議長大島理森氏のとりまとめにより、皇室典範の付則にその根拠規定を設けることで、平成29年6月9日、天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立し、天皇陛下が生前退位されることになった。しかし、「おことば」の内容から考えて、あのビデオメッセージまでの過程において、天皇陛下の周辺でかなりのやりとりがあったことは想像に難くなく、実際、天皇陛下の退位の意向については、「NHKなどの報道によれば、2010年7月22日の参与会議で、天皇は退位の意向を表明。しかし、側近は『これまで象徴としてなされてきたことは国民は皆、分かっています。公務に代役を立てるなどして形だけの天皇となられても異を唱える者はいません』と翻意を促し、『違うんだ』と否定する明仁天皇と激論になったという。」(吉田裕・瀬畑源・河西秀哉編 「平成の天皇制とは何かー制度と個人のはざまで」179頁、180頁 岩波書店 2017年7月)とされており、天皇陛下はかねてより生前退位の意向を持っておられたようである。

 

2、現行憲法には、天皇の生前退位についての規定はなく、皇室典範において、皇嗣の即位は天皇が崩じたときとされているだけである(皇室典範4条)。また、現行憲法上、天皇は、内閣の助言と承認による国事行為のみを行うことができるとされていることから(憲法7条1号ないし10号)、天皇の発意で、法律と同位の皇室典範を改正することはできないものである。天皇陛下も、このようなことは十分ご承知の上で、あの「おことば」を述べられていると思われる。ではなぜ、天皇陛下は、あのビデオメッセージによる「おことば」を国民に対して述べられたのであろうか。思うに、これまで天皇陛下は、国民主権に立脚した現行憲法における「象徴天皇」の在り方についてつきつめて考えてこられ、その上で行動されてきているが、臨時代行や摂政では意味をなさない、象徴天皇ご自身だからこそ意味のある行動を今後も継続していくには、抗いようのない年齢的限界を感じられ、象徴天皇の自然な承継と皇室の安定的な行く末も考えた上で、あの「おことば」を述べられたのではないだろうか。これまで天皇陛下は、「傷つき苦しむ国民を慰藉すること、敵も味方も含めて先の大戦の戦没者たちの霊を弔うこと」を、象徴天皇としての本務と考えられ、それを全身全霊で行動に移されてきたものと思われる(内田樹「街場の天皇論」67頁 東洋経済新報社 2017.10参照)。象徴天皇としての行為には、国事行為としてのさまざまな認証行為などのほか、国会開会式へのお出ましと「お言葉」、全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会など毎年3回の地方訪問や外国ご訪問などの公的行為、さらに、その他の行為として皇室祭祀などがある(皇室祭祀などの概略については、高森明勅「天皇『生前退位』の真実」122頁以下参照 幻冬舎新書2016.10)。天皇陛下は、これらの日程を割いて、被災地のお見舞い(これまで57回)や、中国との国交正常化20年の節目に中国政府の招きで訪中されたほか(平成4年)、硫黄島(平成6年)、サイパン島(平成17年)、ペリリュー島(平成27年)、フィリピン(平成28年)などの多数の戦死者を出した戦跡へ慰霊の旅をされ、戦死者に深い思いをはせてこられており、年齢的にもかなりの無理をしてこられたことは間違いのないことであろう。被災地での慰問において、膝をつかれて、被災者にねぎらいの言葉をかけられるお姿や、戦没者慰霊の旅に際して深く頭を下げられるお姿には、ひとかたならぬ感動を覚えるものがある。だからこそ、国民の多くが天皇陛下のあの「おことば」に共感したのである。現行憲法上の象徴天皇と国民主権との関係においても、天皇陛下の象徴としての行動の実践によって、時間をかけてゆっくりと調和させていかれたものであり、そのことによって、象徴天皇としての天皇陛下が、日本国民の心の中にしっかりと定着していったものと思われる。天皇陛下の今回の「おことば」のような「公的行為」の憲法上の位置づけについて、憲法学者がいろいろ論じているが、もともとGHQの草案においても明確な定義づけのなかった「象徴天皇」について、昭和天皇の強い意志を引き継がれ、全身全霊で国民に対しての内面化に務めてこられており、その心情が国民にしっかりと定着している以上、あまり意味を持つ議論とも思えない。

 

3、現在の国会の議席数の情勢からすると、国会による憲法改正の発議が十分に考えられるが、仮にそのようになっても、天皇の象徴としての地位については、現状のまま維持されるべきである。この点、自民党の改憲草案では、天皇は「象徴」とともに「国家元首」とされ、国事行為も「内閣の進言」しか必要とされていないなど、解釈によっては、なんらかの国政に関する権能をも持ちうるようなものになっている。しかしながら、天皇陛下は、これまで、現行憲法の平和主義を尊重され、被災者や戦没者なども含め、国民にできるだけ身近に寄り添ってこられ、国民の心の中にもそのような象徴として定着しているものであるから、それをあえて国家元首にする必要まではないのではないか。というのも、天皇陛下は、戦前の「帝王学」とは大きく異なり、現行憲法の理念に即した教育をうけてこられており、天皇陛下の考え方に影響があったとすれば、青年時の英語教師であった、絶対平和主義で知られるキリスト友会(クエーカー)のフレンド奉仕団で働いていたエリザベス・グレイ・ヴァイニング夫人(吉田裕ほか編 前掲書9頁)や、イギリス生まれの日本文学研究者レジナルド・ブライス氏(「NHKスペシャル」取材班 「日本人と象徴天皇」97頁 新潮新書 2017.12)の影響が考えられる。とりわけ、ブライス氏は、4年間だったヴァイニング夫人に比べ、18年もの長期にわたっており、その影響は大きかったと考えられる。ブライス氏の秘書であった岩村智恵子氏が、興味深いエピソードを紹介している。それは、「皇太子殿下が中学1年か2年のとき、一対一で御進講しているときに、テーブルから鉛筆が落ちたことがあったんですって。そのとき、誰が拾うか、ということになって、皇太子殿下は『近い方の人が拾えば良いと思います』っておっしゃった。それで、先生は、『じゃあメジャーもってきましょうか』っていうわけ。でもね、続けて『これはねあなたが拾うべきですよ、なぜならばあなたは皇太子だから』と言ったそうです。」(「NHKスペシャル」取材班 前掲書 96頁ないし100頁)というものであるが、その後の天皇陛下の被災地慰問における行動に結びついているようにも思われる。それはともかく、自民党の改憲草案のメインは現行憲法9条にあることは間違いなく、現在の日本をとりまく国際情勢を踏まえて、どのような可憲ないし改憲が考えられるか慎重に検討されなければならないが、いずれにしても平和主義の精神は引き継がれなければならないということである。なぜなら、天皇陛下が、戦争被害を受けた内外の人々に対する反省と慰藉の言葉をこれまで繰り返し語られ、鎮魂のための旅を続けてこられたのは、象徴天皇として、現行憲法の擁護を暗に実践してこられたことになるからである(内田 前掲書38頁参照)。

 

4、天皇陛下は、皇太子時代に、最初の大きな試練をうけられている。それは、昭和50年、沖縄県で本土復帰を記念した海洋博覧会が開かれたとき、昭和天皇の名代として、初めて沖縄に行かれたときである。皇室に対する沖縄の感情は複雑であり、とりわけ、天皇の名の下に戦われた太平洋戦争で、唯一の大規模な地上戦が行われ、県民の4人に1人が犠牲となった歴史など、割り切れない気持ちがわだかまっていた。当時、沖縄文化について進講した沖縄文化研究者外間守善氏のメモには、「『何が起きるかわかりませんので、くれぐれもお気を付けられるように』と申し上げました。殿下は、『私は何が起きても受けます』と強いご覚悟でした」と記されている。実際、皇太子夫妻が「ひめゆり学徒隊」の慰霊碑に献花を行い、案内役のひめゆり同窓会会長から説明を聞き始めた時、訪問に反対する地元沖縄の活動家の青年が火炎瓶を投げつけたのだ。その決定的瞬間を撮影した、当時、読売新聞の新人報道カメラマンだった山城博明氏は、同じ沖縄県民として「県民の怒り」を捉えられたと自負したが、それ以上に印象に残ったのが、火炎瓶の先にいた皇太子の表情だったという。それは、「汗がたらたらなんですよ。この辺からもう流れ落ちてるんですよね。実際現場で直に見てね、汗を流して業務を遂行している姿を見たら、沖縄に関して関心を持たれているということはすぐわかりました」(「NHKスペシャル」取材班 前掲書 126頁ないし130頁)というものである。このように、天皇陛下は、皇太子の頃から、相当の覚悟で真摯に沖縄と向き合ってこられたものである。また、天皇陛下は、「学習院に育ち、自由といふものについても、人生の楽しみがどのやうなものかも知っていらっしゃる。」ものであるが、即位されたことについて、「日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、また、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると定められています。私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」(平成6年6月4日)と、後年、明言されている(高森 前掲書86頁、87頁)。このように自由を断念するという覚悟の上で、これまで国民に寄り添いながら全身全霊で象徴としての務めを全うしてこられたものである。その天皇陛下の「生前退位」の意向のスクープが、NHKの夜7時のニュースで報じられたのが平成28年7月10日の参議院議員選挙の3日後の7月13日というのは、単なる偶然なのだろうか。この点については、安倍政権が改憲に向かって加速するはずの選挙結果に対する天皇陛下からのメッセージと読む識者もおり、実際、フランスの「ル・モンド」紙は、「改憲を牽制する動き」だと解釈している(内田 前掲書65頁参照)。その真相はわからない。いろいろな見方はあるが、ここまで踏み込んで言及したものが一部の書籍等に限られているのは、不必要な憲法上の疑義が生じるのを避けるためであろうか。いずれにしても、すでに国民に定着した象徴天皇や現行憲法の平和主義を擁護するために、もっと発言していくべきである。

 

5, 最後に、前記3、でも引用した「NHKスペシャル」取材班による新潮新書「日本人と象徴天皇」について少し述べておかなければならない。この新書は、きわめて綿密かつ慎重な取材によるもので、その内容はかなり史実に近いものではないだろうか。この中で、昭和天皇とマッカーサーとの会見や書簡のやりとり(同書71頁)、昭和天皇のリアリズム(同書117頁)には興味深いものがあるが、なにより衝撃を受けたのは、この書籍のもととなったNHKスペシャルの番組の企画者であったプロデューサー林新氏が、亡くなる8日前に病床で口述したという「あとがき」である。その冒頭には、「『天皇』を、僕は以前は否定していました。その正当性や根拠が論理や事実で語れないこと、そして日本のあらゆる組織の『忖度』による無責任体制は、天皇制に根本があると思っていたからです。でも今、日本の近現代史を見つめてきた一人として個人的な見解を言えば、『日本に天皇はむしろ必要なのではないか』という結論を出さざるを得ないと思います。」とある。私もその結論にはまさに同感である。世俗的な政治権力とは距離をおき、「祈り」という誰もが抗えない儀礼によって精神的支柱としての存在であり続けた天皇は、やはり日本国民にとってなくてはならないものであろう。しかし、その天皇の地位にあるということは、われわれには容易に想像できないもののようである。それは、「あとがき」の最後に、天皇陛下の即位の礼の取材中、車列の中の天皇の顔をすぐ側でまじまじと見たときの忘れられない印象が語られているからである。それは、いつも穏やかな天皇の顔が、氷のように冷えきった、あらゆる感情を排した、まるで「能面」のようだったとあるからである。そのとき、林氏は、「天皇であるが故の孤独そして深い懊悩」を感じたという。われわれには計り知れない孤独と懊悩と向き合いながら、ひとえに平和裡における国民の安寧と幸福を祈っておられる天皇陛下のお姿には、ただただ頭が下がり、尊敬するしかない動かしがたいなにものかがある。

 

 

可否同数の場合の議長の一般票と決定票

会議体において、議長は、議事における公平性と中立性を要求されるが、議決に際してはどのような投票行為ができるのであろうか。会議体の構成員として、1票の一般票を行使できるのか、その場合、議決が可否同数となれば、重ねて決定票を行使できるのか、あるいは、決定票のみを行使できるだけなのか、という問題である。

 この点、「日本の公的機関では、議長は一般票を有せず(または有しても行使せず)、決定票のみを有する。明治憲法下の帝国議会以来議長や委員長は一般票を行使しない慣行である。地方自治法には、議長は一般票を有せず、タイのときに決定票を有する趣旨が明定されている(116条)。最近の例では、参議院本会議において政治資金規正法(昭51・1・1施行)の法案審議の時、自民党と野党連合が対立し、戦後の国会ではじめての可否同数(117対117)となった。河野謙三(元自民)議長が「議長は可と決定します。」と断を下して原案が可決になった。」(早川武夫 会議法の常識 80頁 商事法務研究会 昭和60年3月初版)とされている。少し古い文献ではあるが、議長としての立場を考えると、きわめて妥当であると考えられる。議事の段階では中立であったものが、議決になると一変して、どちらか一方につくというのでは、いかにも違和感をぬぐえないからである。念のため、地方自治法116条を確認してみると、「この法律に特別の定がある場合を除く外、普通地方公共団体の議会の議事は、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。②前項の場合においては、議長は、議員として議決に加わる権利を有しない。」とされており、疑義が生じないような規定になっている。

 それでは、株式会社の取締役会の議長の場合はどうであろうか。迅速な決定が要求される取締役会の性格、あるいは、会議体の通常の法則の認める処理である等の理由で、2票を認める見解もあるようであるが、一度取締役として議決権を行使した議長が再度裁決権を行使することにより決議を成立させるのは、法定決議要件の緩和にほかならず、認められない(大阪地判昭和28・6・19下民4巻6号886頁、昭和34・4・21民事甲第772号民事局長回答)。」(江頭憲次郎 株式会社法 第2版 384頁注(14) ちなみに、最新版においても同様の記載がある)とされている。

 「結論的にいえば、議長は固有票を決定票として、行き詰まりタイのときに限って投じ得る、とするのが最も妥当である。その旨の明文の規定を設けるか、少なくとも投票前に明示的にそう合意すれば、紛争ーときに国際的なーを予防することができよう。」(早川 前掲書82頁)とされており、まことに妥当な見解である。

ポピュリズムとデモクラシー~民主主義の動揺

1、ポピュリズムは、マスコミでは「大衆迎合主義」と置き換えられているが、いま一つ納得できないところがあり、いろいろ文献にあたってみると、学者も間でも一義的な定義づけはできないようである。ここではポピュリズムの定義を問題とするのではなく、デモクラシーとの関係を問題とすることから、定義については触れないこととする。一方、デモクラシーは、一般的には「民主主義」と訳されているが、これもわかったようでわからない置き換えである。というのも、「民主主義」では、一つの理念であり、正当性が付与された理想のようにも思われるからである。また、「民主主義」という言葉には、ギリシャの民主制における為政者に対する弾劾裁判や、フランス革命における支配階級や対立勢力に対する大量虐殺(ジェノサイド)や、アメリカ独立における先住民族への弾圧など、人間同士のエゴのぶつかり合いのような印象もあり、なにか得体の知れない、いかがわしいものに見えてくる面がある(長谷川三千子「民主主義とはなにか」文春新書 52頁以下など)。したがって、ここではデモクラシーを現実の政治の制度としての「民主制」の意味で使うこととする(佐伯啓思「反・民主主義論」新潮新書 102頁など)。

 

2、ところで、民主制ないし民主主義については、「独裁政治が成立するのは、民主制以外の」どのような国制からでもない」(ソクラテス)とか、「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全に賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」(ウィンストン・チャーチル)などと言われ、負の側面を持っているようである。また、一方、ポピュリズムについては、「ポピュリズムは、デモクラシーの後を影のようについてくる」(マーガレット・カノヴァン)と言われているように、なにかデモクラシーにとって胡散臭いイメージもあるようである。このように、ポピュリズムとデモクラシーにはなにか切っても切れない関係がありそうなので、この関係を考えるために、まず近代民主主義に遡ってその意味を考えた上で、現在の民主制ないし民主主義について考えていくこととする。

 

3、近代民主主義については、これを自由主義と民主主義という異質な思想の混合物として捉え、一方には、人権の擁護、個人的自由の尊重という法の支配による自由主義の伝統があり、他方には、平等、支配者と被支配者の一致、人民主権を主要な理念とする民主主義の伝統があるとする考え方がある(カール・シュミット、シャンタル・ムフ)。これは近代民主主義の「二縒り(ふたより)理論」と呼ばれているもので、デモクラシーを、自由主義の立場から解釈すると、人民主権を認めつつも、議会制を通じたリベラルな統治のあり方とそれによる権力の制限を至言とする立憲主義的なものになり、民主主義の立場から解釈すると、統治者と被治者の一致や人民の自己統治、ないし直接的な政治参加の原則によるものになるということであり、この二つの立場から、ポピュリズムをみると、自由主義の立場からはポピュリズムを警戒するようになり、民主主義の立場からはポピュリズムに民主主義の真髄を見出すことになる。

 

4、ポピュリズムの歴史的起源は、アメリカ南部・西部諸州の農民が大企業や政府の権威的な振る舞いに対して反旗を翻して行った農民運動が、社会改革運動に発展して1891年に人民党(後に民主党に合流)の結党にいたったことにあるとされている。その後、アメリカにおいては、エリート階級の固定化を嫌う「反知性主義」(権威化する知性への懐疑)の流れが生じたことからもみてとれるように、ポピュリズムは、大衆への迎合というよりは、置き去りにされ忘れ去られた大衆の反逆という観点から捉えたほうがわかりやすくなる(週刊東洋経済 2016.12.24 特集「ビジネスマンのための近現代史」 53頁)。そうすると、大衆の反逆をうまく捉えて大きなうねりにしていくのがポピュリズムであり、ポピュリズム的手法であり、ポピュリストであるということになるのではないだろうか。この意味において、ポピュリズムは、イデオロギーないし政治思想とはいえなくなり、権力やアイデンティティーを国家に集約させることで様々な問題の解決を図る政治思想、社会思想であるナショナリズムとは異なるものと言えそうである(国末憲人「ポピュリズム化する世界」59頁)。この延長で考えていくと、ポピュリズムは、大衆の直接の政治参加、いわゆるラディカル・デモクラシーに行き着くことにもなり、近代民主主義の二つの思想の中、民主主義の思想の流れにあることになる。したがって、ポピュリズムは、なんらデモクラシーと矛盾するものではなく、むしろデモクラシーの本質に根ざしたものというべきことになり、問われるべきは、どの運動がポピュリズムであるかということではなく、「ある運動がどの程度ポピュリズム的であるか」(エルネスト・ラクラウ)ということになる。

 

5、翻って、日本の政治状況をみてみると、一時期の民主党政権が打ち出した政治主導はよかったが、統治から官僚を排除することを政治主導と錯覚したために混乱が生じて挫折してしまい、民主党政権を挟んで自民党政権に落ち着く過程において、政党政治が形式主義的な多数支配に変質してしまったように思われる(山口二郎「日本における民主政治の劣化をめぐって」論究ジュリスト 09 特集 憲法”改正”問題 67頁)。現在は安倍1強政治であるが、安倍首相自身、「政治は現実だ。やりたいことを成すためには51対49でも勝つことが大事なんだ」と保守派の議員に繰り返し強調していると報道されているように(日本経済新聞 2019.3.7)、多数決における多数意思の絶対化という現象が広がっている。このような現象は、英国のEU離脱における国民投票や、日本の大阪市における住民投票の例において顕著にみられる。しかも、その手法は、マスメディアだけではなく、ツイッターやフェースブックなどのSNSを駆使した一般大衆との直接的なものになっている。客観的な事実よりも、個人の感情や信条に訴えかける情報が、瞬時に不特定多数の人々の間をかけめぐるようになり、オックスフォード英語辞典が2016年の「今年の単語」に選んだ「ポスト真実」ともいえるような状況になっている。さまざまな情報が蔓延し、情報過多てある一方、現在の日本やアメリカ、とりわけEUにおいて見られるように、高度に官僚化された政治機構を前にして、一般の大衆はなんらの決定権を持たないことから、次第に不満がたまっていくことになる。このような状況が、ポピュリズムないしはラディカル・デモクラシーを生みやすくなり、ポピュリズム的手法が効果的になってくる。ポピュリズムが勢いづくのは、左派政権の南米諸国においても、「移民排除」「政教分離」「男女平等」をかかげ反イスラムを訴える右派の国民戦線マリーヌ・ルペンが今度の大統領選で注目されているフランスなどEUにおいても同様の現象であり、結局、グローバル化により資本と情報が瞬時に世界をかけめぐる社会において、一部のエリート特権階級と一般大衆との社会的隔絶が原因となっているものである。

 

6、ポピュリズムについては、「民主主義の不均衡を是正する自己回復運動のようなもの」(吉田徹 日本経済新聞 2017.1.1「春秋」欄)とも言われるが、「ディナー・パーティーの泥酔客(それも正論を吐く)」(水島治郎「ポピュリズムとはなにか」中公新書 231頁)に例えられるように、扱い方によっては大混乱になることもあるので、単純に排除すればいいというものでないことだけは確かである。そこで、もう一度、近代民主主義の原点に立ち帰って、自由主義的な諸価値である、普遍的な人権保障、法の支配、適正手続の保障などの立憲主義の原理と衝突しないように、ポピュリズムの民主主義的効用を引き出せるような観点からの議論が大切になってきているといえる(山本圭「ポピュリズムの民主主義的効用」参照。なお、この論文は非常によくまとめられたわかりやすい論文なので負うところが多く、一部を引用させていただいている)。

たかがゴルフ、されどゴルフ、さらばゴルフ

1、今回は趣味の話にします。私は昭和57年に弁護士登録しましたが、昭和62年ころから平成14年ころまで15年間くらい趣味としてゴルフをやっていました。もともと小学校4年のころから父親に連れられて練習場やコースにも行っていたため、我流でしたがすぐに感覚が戻ってきてめきめき腕を上げていきました。趣味とはいえ、私の場合はあくまでも競技ゴルフに徹しました。当時は今とは違って弁護士を取り巻く経済的な環境も比較的余裕のある時代だったため、自分なりに多くの時間をゴルフに裂くことができました。当時、広島弁護士会には「ひまわり会」というゴルフ同好会がありましたが、ここで多くの先輩方と知り合い、公私にわたって鍛えてもらいました。とりわけ、ある有名プロゴルファーの顧問をされているO先生の一言で壁が破れ、シングルになれたことが大きな転機でした。その一言とは、「右膝が緩んでる」ということでした。私の場合、右膝が突っ立ているかたちになって緊張感がないため、スイングに上下動が起き、ダフリやトップの原因になってショットが安定していなかったことです。右膝を内側に絞り込むようにして緊張感を持たせることで上下動がなくなり、インパクトでの右足の蹴りも生まれ、ゴルフが見違えるほどよくなりました。また、オフィシャルハンディがシングルになってからオフィシャルクラブで知り合ったU氏の存在が私のゴルフの上達にとって決定的なものとなりました。U氏は地場の企業の社長さんで、当時オフィシャルハンディは2の方でした。U氏とのラウンドでいろんなアドバイスを受け、大きな刺激を受けました。その結果、どんどんハンディーが上がっていき、オフィシャルハンディは4になることができました。調子のいい時は自分の背中が見えるような感覚にもなりました。少し自慢になりますが、オフィシャルグラブのマンスリー(月例会)では数回、三大競技の理事長杯でも平成8年9月に一度優勝させてもらい、ホールインワンもオフィシャルクラブのコースで3回ほど達成できました。スコアも、慣れているオフィシャルコースのレギュラーティーからであれば、72のパープレーをはじめ、74とか75はよく出ていました。初めてのコースでもハーフで35とか36のパープレーもあり、ゴルフを通じていろんな面で自信となっていきました。しかし、右膝に負担がかかりすぎたことから右膝の変形性膝関節症になり、腰もメンテナンスをせず、我流の筋トレをやっていたこともあって何度もぎっくり腰になり、仕事も忙しくなってきたことから、到底ハンディを維持できなくなり、次第にゴルフから遠ざかり、結局やめてしまいました。ちなみに、ハンディ4を維持しようと思えば、毎日の素振りと少なくとも週1回の練習場通い、それに年間60ラウンドくらいはコースに出なければならず、体に支障が生じてきたこともあって、メラメラと燃えるようなゴルフ熱が冷めていきました。

 

2、ゴルフはプレィヤーの個性がにじみ出るスポーツなので、一般的で標準的な上達法というものがあるわけではありませんが、私の経験を踏まえてシングルになりたいと思っている人にアドバイスするとすれば、次のようなものになります。まず、ベン・ホーガンの「モダンゴルフ」という本を手にとって読んでください。ウイークグリップの勧めとともに、スタンスとボールの位置の関係、それにスイングの軌道を平面としてみたスイングプレーンというものがあることに気づかされます。グリップはゴルフクラブとプレイヤーを結びつける非常に大切なところなので、一度変な癖がつくとなかなか変えられなくなるので気をつけてください。飛ばそうとすると、右打ちの人は右手に力が入り、どうしても右手がかぶってくるストロング(フック)グリップになります。これがフック病の原因になってきます。ウイークグリップはその欠点を矯正するもので、飛距離は落ちますが方向の正確性は増してきます。ゴルフは、アマチュアの場合、ミスをできるだけ少なくするゲームですので、このグリップをお勧めします。もっとも、ウイークグリップをマスターすると、今度はもっと飛ばしたいという欲にかられて、次第にストロンググリップ気味になっていきますが、この欲との戦いが最後まで続いていくことになります。また、スタンスとボールの位置もグリップと同じくらい大切で、図解しないと正確には伝わりませんが、大雑把に言うと、ドライバーの時がスクウェアースタンスで左足かかと線上にあるボールが、サンドウェッジの時にはオープンスタンスで右足かかと線上にくるまで、徐々に変化し移動させていくことになります。これは、自分の感覚でやっていくしかありません。そして、スイングプレーンですが、その人によってプレーンの角度は違ってきますが、自分なりのスイングプレーンはあるはずで、それを見つけるように意識していかなければなりません。

 

3、次に大切なのが素振りです。練習場で実際に球を打つのと同じくらい大切です。なぜかと言えば、スイングは一定のリズムとテンポをもった一つの大きな流れであり、球を打つとどうしてもインパクトに力が入り、フォロースルーが疎かになっていきます。インパクトはスイングの通過点に過ぎず、フォロースルーからフィニッシュまできて初めてスイングが完了することになります。素振りで気をつけなければならないことは、インパクトゾーンをできるだけまっすぐにすることと、体重移動をしてフィニッシュでは左足に全体重がかかるように心掛けることです。この時、スイングプレーンがどの程度傾いているかによって、球筋がドロー系になったりフェード系になったりします。正確性の点でフェード系の球筋がおすすめです。いわゆるスライス病は、スイングの軌道がアウトサイドインになっているため、インパクトでフェースはまっすぐでもカット打ちのようなかたちになり、ボールにスライス回転がかかるためです。スイングの軌道をできるだけまっすぐなものにすれば治ってくると思います。この要領で練習場で打ってみますが、思うような球筋が出なければ、その原因がグリップの緩みにあるのか軌道にあるのかを考えて、その練習場で直してしまわなければなりません。前出のベン・ホーガンは大変なメモ魔で、練習場でも気づいたことを事細かにメモしたとのことで、われわれもコースに出たときはもちろん、練習場でも気づきはメモしておきたいものです。練習場では、常に、グリップ・スタンス・ボールの位置に気をつけながら、クラブの番手による飛距離の違いをできるだけ正確に測るようにしなければなりません。また、コースでは、練習場で打てない球は決して打てないことを肝に銘じておくべきです。インテンショナルフックやスライスだけでなく、トラブルショットも、たとえば木の幹が邪魔になってアドレスが取れない時のために、逆さ打ちを練習しておくといいでしょう。

 

4、私がゴルフをしていた時は、ロングアイアンからユーティリティへの過渡期で、個人的にはロングアイアンにこだわりを持っていましたが、クリークは3番アイアンの代わりに多用しました。200ヤード(現在はメートル表示になっているが)先のピンを直接狙えるので重宝しました。今ではいろんなユーティリティが出ているので、気に入ったものはどんどん取り入れていくべきだと思います。アイアンショットについては、私の場合5番アイアンで丁度ボールの位置が両足かかとの中間地点にくるようにアドレスし、ボールの先でターフをとるようにしていましたが、4番以上はスゥィープショットすなわち払い打ちをするような感じで打っていました。また、バンカーショットが最初のころは苦手でバカにされ随分悔しい思いをしましたが、バンカーショットのためだけに練習場に通った時期もあったおかげで、一番得意なショットの一つになりました。バンカーショットのコツは、手のひらの中でクラブのグリップを回してクラブのフェースを開き、フェースのエッジの向きをピンに合わせるようにスタンスをとり、Vの字を描くようにアーリーコックでバックスイングをして、ボールの少し手前にクラブのバンスを打ち込めば楽にボールを出すことができます。ピンに寄せていくためには、アゴの高さ、ピンまでの距離と傾斜や芝目、砂質の違いによって、フェースの開き加減やスイングの大きさ、フォロスルーの取り方を調節していくことになります。ライが悪い時のショートアプローチのコツとしては、クラブのトゥーの部分で打つとダフらないので、パターのときのように少し吊り上げるように構えると打ちやすいです。さらに、どうしてもドライバーで飛ばしたいときの打ち方としては、長尺ではなく少し短尺のドライバーで、高いティの球を野球のバットを振る感覚で少しアウトサイドインに思いっきり振りぬき、力強いフェード(パワーフェード)の球筋にするのも一つの方法だと思います。かなり個人差もあることなので、自分自身でいろいろ試してみてください。いずれにしても、ゴルフにのめり込むときりがなく、時間とお金と丈夫な体がないと続けていくことはできません。私にはいずれも限られてきていますが、ゴルフに対する興味自体がなくなってしまいました。

 

5、ゴルフはメンタルなスポーツで。その日の体調や気分にもよりますが、ラウンド中のショットの度毎でもショットの良し悪しが変わってきます。決して調子にのらず、また、悲観することもなく、最後まで慎重に一打一打に集中していかなければなりません。最終ホールまでいいスコアできて、最後のティーショットでOBを打ったとしても、すぐに気分を切り替え、番手をアイアンにでも代えて打ち直すことができればそんなに大たたきすることはないでしょう。よくゴルフは人生の縮図と言われますが、そのとおりだと思います。いい人との出会いが絶対に必要で、自分一人での成長には自ずから限界があります。日頃の準備と努力の成果は必ず出てきます。ゴルフでも、いくら練習してコースに出たとしても、バーディが欲しい欲しいと思っているだけでは決してバーディはきません。ダブルボギーをうたないように必死でボギーで我慢し、なんとかパーを拾っているようなとき、なにかの僥倖のようにバーディがくるものです。運だけを求める人に運が来ないのと同じことだと思います。必死で前向きに努力しない人には幸運の女神はほほ笑みません。ただ、ゴルフの女神は、いたって気まぐれで意地の悪いところがあるので、くれぐれも用心してください。短気を起こしてくさらず、その日のプレーを楽しんでください。少し長くなりましたが、私のゴルフに対する追憶でした。

弁護士と依頼者の関係

1、致知出版社から毎月発売されている「致知」という雑誌がある。人間学をメインテーマにした堅い雑誌であるが、2016年上半期の実売部数は11万3000部を超えており、週刊大衆や週刊ダイヤモンドよりも多く、週刊女性にも勝るとも劣らない実売部数である。その「致知」の2016年10月号から、童門冬二氏による「小説 徳川家康」の連載が始まっている。徳川家康は、描く人によっていろいろな人物像があるが、竹千代と呼ばれた少年期に今川義元の下で人質として生活しており、その折に今川義元の師僧であった太原雪斎の薫陶をうけたことは有名である。太原雪斎は、竹千代は将来今川義元より大物になると見込み、古代中国の唐の二代目皇帝太宗が侍臣といろいろな課題について対話した問答集である「貞観政要」を特に選んで講義したという。その中でも「君(治者)と人民との関係」について述べられたところを何度も繰り返し講義したそうである。

 

2、それは次のような文章だ。「古語に云う、君は舟なり、人は水なり。水は能く舟を載せ、亦能く舟を覆す」というである。この件を、雪舟は家康に対して、「君すなわち治者を舟に例え、治められる人民を水に例えている。したがって、治者が良い政治を行っていれば、人民は何も言わずに波も立てない。逆にその治者すなわち舟を支えてくれる。しかし治者が一旦悪政を行えば、水すなわち人民は怒って波を立て、場合によっては治者である舟をひっくり返してしまう。これを聞いた唐の太宗はいたく感動し、なるほど、水は実に恐ろしい存在だという感想を漏らした。人民は単に愛すればよいというわけではなく、常に恐るべき存在だという緊張感を持つということだ」と説き、家康も「民は愛すべき存在だという考え方と同時に、恐るべき存在だという認識を持った唐の太宗は、やはり的確に人民の性格を見抜いている」と感じたという。

 

3、この「貞観政要」の件は、「君と人民の関係」、すなわち「治者と被治者」のことを述べたものだが、戦国大名の時代においては「主人と家臣」の関係に置き換えられるが、現代においては、「事業者と消費者」の関係や、「専門家と依頼者」の関係に置き換えることができるであろう。もっと言えば、「男と女」や「夫婦」の関係についてもあてはまるかもしれない。弁護士としても、「専門家と依頼者」すなわち「弁護士と依頼者」の関係について、この「貞観政要」の件の言わんとするところを日々噛みしめながら対応していかなければならないものである。

当世弁護士事情

1.平成11年7月から本格的に始まった「司法制度改革」は、平成21年5月の裁判員裁判の実施によって一段落した。その間、平成16年11月までの3年間に、20本を超える法案が成立し、裁判の迅速化、法科大学院1.(ロースクール)、労働審判、日本司法支援センター(法テラス)、新司法試験、弁護士広告解禁などが実施されてきた。いま、この中で一番問題が出てきているのが、法曹養成に関する法曹人口の増加である。法科大学院設立当初の目標であった司法試験合格者数年間3000人には遠く及ばず、ここ数年約2000人前後であったものが、弁護士の就職難、経営難もあって法科大学院入学希望者が減少し、政府も当面1500人を目途とせざる得なくなった。平成10年に16000人余りであった弁護士人口は、平成28年4月現在37000人余りと倍増している。

 

2.そこで当世弁護士事情であるが、「司法制度改革」が始まった平成11年頃は、紹介者からの口コミはもちろんとして、弁護士会の法律相談センターは大盛況で新件受任がかなり見込まれていたのに対し、現在は閑古鳥が鳴いており、担当日に0件のこともある。これは、弁護士広告解禁とインターネットの普及により、各弁護士事務所が工夫を凝らしたインターネット上の無料法律相談を窓口にして、新規の顧客獲得に努力しているからであり、裁判所の事件数も減少傾向にあることからもわかるように、弁護士の収入に結びつくような需要(パイ)がとりたてて増えていないことも原因であろう。

 

3.先日、福岡で行われた「ウェブマーケティング」のセミナーに参加してみたが、「時代は変わった。積極的に打って出なければ客はこない。」ということを再認識させられた。関東圏や大阪ではかなり高度な広告戦略が行われているが、地方に行けば行くほど発展途上であり、十分に効果を見込めるとのことである。極端な話、開業1年目の弁護士でも、やり方次第ですぐに新規顧客を獲得できるとのことである。もっとも、それなりの経費はかけなければならず、売上の1割は常識だそうである。具体的には、即効性のあるものが「○○弁護士ナビ」などのポータルサイトと呼ばれるものであり、中長期的なものが専門性のあるホームページの立ち上げで、両者を併用することによって確率を高めることができるそうである。

 

4.私も実際にやってはいるが、なかなか思うような効果が望めていない。課題は、どのような専門性を打ち出すかであるが、どうにも欲が出て、あれもこれもとなってしまう。しかし、最近の法律専門書の出版事情を見ても、かなり専門に特化したものでないと売れていないことからもわかるように、専門特化の傾向は否めないのであろう。。地方においてはまだそれほどではないが、なにかほかの弁護士とは違うところをアピールしていかなければ生き残れない時代になってきたことだけは間違いのない事実である。

少年事件と報道の自由

1、はじめに

 この問題については、少年法61条が少年の氏名等の身元を特定する情報の公表を禁止していることから、次の事件での週刊誌の報道が問題となった。平成6年の一連の殺人事件(長良川リンチ殺人事件)(①事件)と平成10年1月の堺市通り魔殺人事件(②事件)である。0それぞれの事件について、週刊誌の報道がどこまで許されるかが問題となったものである。以下、それぞれの事件の概要を述べたうえで、裁判所の判断を踏まえてどのように考えるべきかについて述べてみる。

 

2、事件の概要

 ①事件は、当時18歳であった少年は、当時19歳であった別の少年とともに、大阪市の路上を通行中の青年にいいがかりをつけ、たまり場となっていたマンションの一室に連れ込んだうえで暴行を加え、殺害し、死体を毛布に包んでガムテープで固定し高知県安芸郡の山中に遺棄し(大阪事件)、また、愛知県稲沢市で、いずれも19歳の他の少年とともに青年に暴行を加え、愛知県木曽川祖父江緑地公園駐車場まで連れて行ってさらに暴行を加え、さらに尾西市の木曽川左岸堤防上で頭部等をカーボンパイプで殴打するなどの暴行を加えて瀕死の重傷を負わせたうえで河川敷にけ落とし、河川敷の雑木林内まで両手足をもってひきずって遺棄して立ち去り、その青年を死亡させて殺害し(木曽川事件)、さらに、金品を奪うために、他の少年らと共謀のうえ、三人の青年を自動車に監禁して連れ回し、暴行を加え、そのうち二人については長良川右岸堤防東側河川敷で金属製パイプで頭部等を殴打して死亡させ、もうひとりについてはコンビニの駐車場に駐車中に金属製パイプで頭部等を殴打し頭部外傷等の傷害を与えた(長良川事件)というものである。

 また、②事件は、大阪府堺市において、シンナー吸引中に幻覚に支配された少年が、文化包丁をもって、登校途中の女子高生を刺して重傷を負わせたあと、幼稚園の送迎バスを待っていた母子らを襲い、逃げまどい転倒した5歳の幼女に馬乗りになって背中を突き刺して殺害し、さらに娘を守ろうとしておおいかぶさった母親の背中にも包丁を突き立てて重傷を負わせたというものであり、いずれの事件も凶悪重大な事件である。

 

3、裁判所の判断

 そこで、それぞれの事件について、裁判所の判断の経過を見ていくこととする。まず、①事件については、一審の名古屋地方裁判所は、名誉棄損の成立は否定したが、プライバシーの権利の侵害について、仮名は用いられているが、本名と音が類似しており、原告の同一性は隠蔽されておらず、さらに記事の経歴や交友関係などにより原告と面識のある不特定多数の読者はそれが原告のことであると容易に推知できるとし、本人と推知されない法的利益よりも明らかに社会的利益の擁護が強く優先される特段の事情があったとは認められないことから、不法行為を構成するとして、慰謝料30万円の損害賠償を命じた。控訴審の名古屋高等裁判所も一審の結論を維持したが、理由中の判断において一歩踏み込み、少年法61条を権利保護規定と位置づけた上、成長発達権なるものを少年にとっての基本的人権の一つと観念できるとした。しかし、最高裁判所は、少年法61条違反の推知報道かどうかについては、判断基準をあくまでも「不特定多数の一般人」として否定し、成長発達権については審理の対象から除外した上で、もっぱら名誉棄損・プライバシー侵害の違法性阻却事由の有無についてさらに審理を尽くさせるため、名古屋高等裁判所に破棄差戻をした。そして、差戻し後の名古屋高等裁判所は、少年時の犯行だからといって直ちに公共の利害に関する事実は否定されないとして、一審判決を取り消し、損害賠償請求を棄却した。

 つぎに、②事件については、一審の大阪地方裁判所は、本件が悪質重大な事件で社会一般に大きな不安と衝撃を与えたことを認めながらも、原告が現行犯逮捕され、さらなる被害を防ぐために社会防衛上氏名等を公表する必要がある場合ではなく、本件事件の態様の悪質性、程度の重大性や社会一般の関心をもってしても、原告の氏名等を公表されない利益をうわまわるような特段の必要性があったとは思われないとして、慰謝料等250万円の損害賠償を命じた。しかし、控訴審の大阪高等裁判所は、一審を覆す判断を下した。まず、大阪高等裁判所は、プライバシー権、肖像権、名誉権を侵害された場合には不法行為となりうることを認めたが、憲法21条の保障する表現の自由とプライバシー権等との調整においては、表現の自由の憲法上の優越的地位を考慮しながら慎重に判断しなければならないとし、「表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権等の侵害とはならないと解するのが相当である。」とした上で、犯罪容疑者についても、犯罪の内容・性質にもよるが、犯罪行為との関連において、そのプライバシーが社会の正当な関心事になりうるとした。また、プライバシー権の侵害とは別に、みだりに実名を公開されない人格的利益が法的保護に値する利益として認められるのは、「その報道の対象となる当該個人について、社会生活上特別保護されるべき事情がある場合に限られるのであって、そうでない限り、実名報道は違法性のない行為として認容されるというべきである。」とした。そして、少年法61条については、刑事政策的配慮に根拠を置く規定であるから、少年時に罪を犯した少年に対し実名で報道されない権利を付与していると解することはできないとした。そのうえで、本件は被害者および犯行現場の近隣にとどまらず、社会一般に大きな不安と衝撃を与えた事件であり、社会的に正当な関心事であったと認められるとし、本件記事の表現内容・方法の不当性については、無罪推定の原則などに照らし、犯罪報道については匿名であることが望ましいが、他方で被疑者等の特定は犯罪ニュースの基本的要素であって犯罪事実と並んで重要な関心事であるから、少なくとも凶悪重大な事件において現行犯逮捕されたような場合には、実名報道も正当として是認されるとした。そして本件の場合きわめて凶悪重大な事件であり、原告が現行犯逮捕されていること、なんの因縁もないのにもかかわらず無残にも殺傷された被害者側の心情も考慮すれば、実名報道をしたことが原告に対する権利侵害とはいえないとしたものである。これに対し元少年は上告したが、その後、自ら上告を取り下げた。キリスト教の牧師と交流して「許してもらわなければいけない自分が相手を許さないのは間違っている」という心境に達したからだと伝えられる。しかし、成長発達権の理念を掲げて提訴を勧め、訴訟活動を続けてきた弁護士に事前の相談もなく取り下げたことが、人間としての成長発達の証としてどの程度評価できるか、また、何が少年の成長発達を支援することになるのかを考えさせられる事案である。(以上、松井茂記「少年事件の実名報道は許されないのか」日本評論社 2000年11月、飯室勝彦「事件報道に大きな影響を与える長良川事件・最高裁判決」法学セミナー No.582 109頁 2003年6月 参照)

 

4、どのように考えるべきか

 少年法61条を権利保護規定と考えるか、刑事政策的規定と考えるかということから結論が出る問題ではなく、一般社会生活との関係で、犯罪を犯した少年の更生にとって何が求められるかということから考えなければならない問題である。この問題は、犯罪を犯した少年の犯罪時の年齢、生育環境や犯行時の家庭環境、犯罪に至った動機、犯罪の態様や結果の凶悪性・重大性、犯罪後の行動、被害者感情や社会一般の受け止めや社会に対する影響などから、個別具体的に考えていかなければならない。

 近時、18歳から選挙権が認められ、民法の成人年齢も18歳に引き下げるかどうか議論があることからも、人の生命や身体にかかわる重大事案に限り、18歳からは犯人の推知報道も原則として許されると解すべきではないだろうか。そして、18未満については、少年法61条をできるだけ尊重するかたちで、事件の内容を個別具体的に検討したうえで考えることになるであろう。

 この点、神戸市須磨区で平成9年に起きた児童連続殺傷事件から今年で19年になるが、当時14歳だった元少年が昨年手記を出版したことに関連し、被害者土師淳君(当時11歳)の父親の守さんが、「加害男性への教育は何の意味もなかった」と心境を吐露していることをどのように受け止めるべきか、われわれにとって重い課題である。

 

 

 

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