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政治とカネ~「政務活動費」について

 

第1、はじめに

    政治とカネについては、元衆議院議員河井克行氏による大規模買収事件が想起され、政治資金規

   正法と公職選挙法の問題として取り上げられるが、より身近な地方議会議員についても、2014(平

   成26)年7月の野々村竜太郎兵庫県議会議員や2020(令和2)年2月の熊本憲三広島市議会議員によ

   る「政務活動費」の不正支出が問題となっており、来年は統一地方選挙が施行されることもあるの

   で、この「政務活動費」の問題から取り上げることとする。

 

第2、「政務活動費」の成り立ちと現状

 1,「政務調査費」として導入

   ・きっかけは、国会議員の「立法事務費」を規定した法律が1953(昭和28)年に施行されたこと

   から、「国会議員に出るなら地方議員もほしい」ということになり、地方自治法には国会の立法事

   務費の交付に当たるような条文も条例への委任もなかったが、同法232条の2の「公益上の必要があ

   る場合」の補助として公費を支給してもらうことになり、この補助金支給が「調査研究費」として

   都道府県から政令指定都市、一般市へと広がっていった。

 

   ・しかし、「公益上の必要がある場合」の補助を出すかどうかの権限は首長にあり、首長がその使

   途に厳格な基準を設け、領収書の添付や報告書を求めることを徹底すると、執行機関の監視機能を

   果たす議会活動への干渉と言われるおそれがあったので、公費支出でありながらノーチェック同然

   になり、市民オンブズマンから廃止の要求や訴訟が起こされることになった。

 

   ・地方議会としては世間的にも堂々と使えるようにしてほしいと国に要請した結果、議員立法によ

   り、2000(平成12)年に地方自治法100条の中に14項が新設され、「地方公共団体は、条例の定

   めるところにより、その議会の議員の調査研究に資するため必要な経費の一部として、その議会に

   おける会派又は議員に対し、政務調査費を交付することができる」として、条例に基づいて政務調

   査費を支給できる措置が取られることになった。

 

 2,「政務調査費」から「政務活動費」へ改称

   ・しかし、「政務調査費」の使途に関して住民から批判が絶えない一方で、議員の間には「調査」

   に関わらせることが使途を窮屈にしていると不満が少なくなかったことから、2012(平成24)年

   の改正によって、「政務調査費」を「政務活動費」に改称し、100条14項に「議員の調査研究その

   他の活動に資するため」と「その他の活動」という6文字が付加された。

 

   ・では、地方議員の行う政務活動とは何なのかということになるが、国の場合の意味からすると、

   「政務」は政策の立案・企画にかかわる調査研究ということになるが、地方自治法で政務活動費の

   規定が議会の調査にかかわらせているということは、政策形成機能というより、首長等の事務執行

   をめぐる不透明、不適切なこと、住民との関係で問題が発生していることなどの調査機能であるこ

   とを窺がわせるが、住民との意見交換会など民意の把握・吸収のための活動に要する経費のすべて

   に充てられるわけではない。

 

 3,「政務活動費」の使途の問題

   ・政務活動費の使途は、各議会の手引きで細かく定められており、各種研修の参加費、調査研究

   費、広聴広報費、書籍などの資料費などの資料費に使用可能であるが、政党活動、選挙活動、後援

   会活動、慶弔餞別、飲食を主目的とする会合などには使えず、議員は1年分の収支報告書を提出

   し、議会事務局がチェック、修正した後、閲覧可能な状態で公開される。

 

   ・政務活動は議員活動の一部であることは確かなので、そのための公費支出が議員活動そのものに

   規制を加えることになっているとすると問題があるが、政務活動費を議員活動そのものを規制しな

   いで使えるようにしようとすれば、議員活動なら何でも使える公金支出となってこれも問題であ

   る。

 

   ・政務活動費の使途について、私用のガソリン代、家族を伴った出張旅行、水増し請求、すり替え

   請求、架空請求、着服、会派議員団の宿泊研修など不正の手口による不祥事が絶えないことは、制

   度自体に欠陥があるともいえることになる。

 

 4,「政務活動費」の厳正適用論ないし廃止論

   ・兵庫県議会は、野々村県議の不正支出の問題をうけて、議長の責務と調査、是正勧告等の権限を

   相当拡張するとともに、議会事務局にも政務活動費の収支報告書のチェックなどを行う専門部署を

   新設して厳正適用している。

 

   ・大阪府泉南市議会では、政務活動費と称して費用を支弁されることが議員活動そのものに規制を

   加えることになり、議員の自主的活動の中で自律的な政策提言を行うことのほうが、より柔軟な政

   治活動を行えるのではないかなどの理由で政策活動費を廃止している。

 

第3,「政務活動費」の今後

   ・政策活動費は既得権益視されているため、これを議員報酬に組み込むことは議員の納得が得られ

   ないし、議員報酬の引き上げになることから住民の理解も得られにくい。

 

   ・議員報酬も各自治体によって相当多寡があることから、一律の議論はできず各自治体議会の自覚

   と自律に委ねざるを得ない。

政治とカネ~政治活動および選挙運動の資金と規制

 

<サマリー>

   規正法は、「腐敗行為防止法案」あるいは「政治腐敗防止法案」の名称で検討さ

  れていたものを改めたものであるが、現在までの改正にかかわらず、会社や労働組

      合から政党への献金や政党助成金の中から、「政策活動費」ないし「組織活動費」

     の名目で政党の有力政治家を経由して党の政治家に事実上報告義務なく配布され

     る仕組みが存続している以上、いくら政治家個人への献金を禁止しても、政治とカ

     ネにまつわる腐敗ないし不祥事はなくならず、これを防止するためには、政治に必

     要となるカネの流れをできるだけ透明化していくしかない。

      (政治資金規正法は規正法、公職選挙法は公選法と略称)

 

                     目  次

  第1、はじめに                     

  第2、政治資金とその規制

   1、規正法(「規制」ではなく「規正」)の成り立ち   

   2、規正法の目的および内容              

   3、政治資金の寄附の制限と許容            

   4、識者等による問題点の指摘             

  第3、選挙運動の資金と規制(選挙とカネ)

   1、選挙資金の収集                  

   2、公職の候補者等による公選法上の寄附の禁止     

   3、選挙費用の上限設定(法定選挙費用)と公費負担   

   4、公選法違反としての「買収」と「被買収」      

   5、識者、政治家による問題点の指摘          

  第4、小括                         

     (付記)

 

 

第1、はじめに

    わが国の政治形態は、選挙を通じて選ばれた代表によって構成される国会が国政を運営していく

   議会制民主政治ですが、現実の政治の場の活動が公明かつ公正に行われるかどうかについては、政

   治活動のための資金(政治資金)の問題があります。政治資金の授受などをめぐって、癒着や政治

   腐敗の問題が生じる危険性もあるため、政治資金の流れ等を公開し、その適否の判断を国民に委ね

   るだけでなく直接規制し、そうした危険性をあらかじめ除去することも必要となります。そのた

   め、政治資金の規制については、現実の政党その他の政治団体や政治家の政治活動の実態、選挙制

   度の仕組み、更には国民の政治意識などを総合的に勘案した上で、政治資金の規制によって生じる

   自由権の制約と規制によって実現しようとする公益との合理的な比較衡量が必要となります。

 

第2,政治資金とその規制

 1、規正法(「規制」ではなく「規正」)の成り立ち(1)日本の民主化は連合国軍総司令部(GHQ)

  によって進められ、明治憲法とともに制定された衆議院議員選挙法を改正して昭和21年4月に完全な

  普通選挙のかたちで行われ、現行日本国憲法によって設けられた参議院の議員選挙は、参議院議員選

  挙法を制定して、日本国憲法施行前の昭和22年 4月に、住民による直接選挙である地方選挙とともに

  行われた。

 

 (2)しかし、戦後の混乱した政治事情の中で、政治的腐敗行為が続出したことを受け、群小政党の整理

  と腐敗行為の防止が政治的課題となり、連合国軍総司令部(GHQ)がアメリカの腐敗行為防止法を範

  とする案を示したことから政府が政党法として立案作業に取りかかったが成案に至らず、議員立法に

  よって規正法が昭和23年に制定された。その後、規正法の中の選挙運動費用と寄附の制限に関する規

  定が、昭和25年に制定された公選法に移し替えられたものである。この意味において、公選法は「選

  挙」に関する政治資金を規制するものとして規正法の特別法だと言える。規正法は、昭和41年のいわ

  ゆる黒い霧事件、昭和49年7月の金権選挙と呼ばれた第10回参議院通常選挙で政治と「カネ」が問題

  となり、その改正が取りざたされたが、支配政党の直接的な利害と体質にかかわる分野であることか

  ら、改正案の審議未了廃案をくり返し、昭和50年になって全面改正され、昭和51年からのロッキード

  事件をうけて昭和55年にさらに一部改正された。しかし、選挙制度、政治資金制度等の抜本的な改正

  は、昭和63年に発覚したリクルート事件をきっかけとした平成6 年になってからである。

 

 (3)平成6年にいわゆる政治改革関連法として公選法、規正法の改正、政党助成法、衆議院議員選挙区

   画定審議会設置法の制定が行われ、会社等が行う寄附は、政党・政治資金団体と資金管理団体に対す

   るものに限定し、公職の候補者の政治活動に関する寄附で金銭等によるものについては原則として禁

   止された。そして、平成12年には、会社等が行う寄附については、資金管理団体に対するものも禁止

   され、政党・政治資金団体に対するもののみ認められることになったが、公選法上の選挙運動の取締

   規定の運用とは対照的に、規正法は骨抜き的な傾向をもつことになった。

 

 2、規正法の目的および内容

  (1)規正法は、規則で制限する「規制」ではなく、自助努力を促す意味の「規正」という言葉が使わ

   れている。しかしながら、政治にからむ資金の実態は、刑法の収賄罪まがいの「賄賂」に近い資金

   の流れも往々にして見受けられる。この意味で規正法違反は、国民の目を欺いて議会制民主政治の

   健全な発展を阻害する重大な犯罪となるものである(産経新聞司法クラブ「検察vs小沢一郎『政治

   とカネ』の30年戦争」 158、159頁 新潮社 2009年6月)。

 

  (2)規正法には、次のとおり、①寄附者と寄附の対象者、②量的な面、③寄附者側に着目した質的な

   面、④その他政治資金の公正な流れを担保するための制限があり、政党その他の政治団体は毎年1

   回、年間の政治資金の収支等を公開しなければならない。

   ・①については、公職の候補者の政治活動に関する寄附で金銭等によるものについては原則として

    禁止され、会社等が行う寄附については資金管理団体に対するものは禁止され、政党・政治資金

    団体に対するもののみが認められています。

 

   ・②については、1人の寄附者が年間に寄附できる総額を制限する総枠制限(個人が年間寄附できる

    限度額は、政党・政治資金団体に対するもので2000万円まで、資金管理団体を含むその他の政治

    団体、公職の候補者に対するもので1000万円まで、会社、労働組合等の場合は、公職の候補者に

    対するものを除き750万円から1億円まで)と、1人の寄附者が同一の者に対して年間に寄附でき

    る額を制限する個別制限(個人の寄附は150万円まで、資金管理団体を含むその他の政治団体間

    の寄附は5000万円まで、政党・政治資金団体・資金管理団体を含むその他の政治団体間の寄附は

    無制限)がある。政治資金パーティーについても、1つの政治資金パーティーにつき同一の者から

    150万円を超えて支払を受けてはならないとされています。

 

   ・③については、㋐国又は地方公共団体から補助金等を受けている会社等、㋑赤字会社、㋒外国

    人、外国法人等、㋓他人名義又は匿名の者による寄附が禁止されています。

 

   ・④については、寄附者の意思に反する寄附のあっせん禁止、寄附への公務員の関与制限、政治資

    金団体に係る寄附は振込み以外の方法による寄附は原則として禁止されています。

 

 3,政治資金の寄附の制限と許容

  (1)規正法は、何人も国会議員などの「公職の候補者」自身に対し政治活動に関する寄附をすること

   を原則として禁止しているが(規正法21条の2第1項)、これには例外が2つある。一つは、その寄

   附が選挙運動に関する寄附の場合であり(規正法21条の2第1項のカッコ内)、この場合、その寄附

   者が誰であれ、公選法が選挙運動費用収支報告書にその寄附を収入として記載することが義務づけ

   られている(公選法189条)。

    もう一つの例外が、寄附を行ったのが政党である場合である(規正法第21条の2第2項)。自民党

   本部は「政策活動費」名目で幹事長ら「公職の候補者」に寄附を行っているところ、国会議員個人

   が政党本部から受け取った寄附は、国会議員ら「公職の候補者」のために政治資金の拠出を受ける

   治団体である「資金管理団体」(規正法19条第1項)の政治資金収支報告書に収入として記載さ

   れるべきであるが、政界では、記載する必要はないという解釈・運用がなされている。つまり、党

   本部から受け取った議員は「政策活動費」を自己の「資金管理団体」で一切収支報告しないため、

   実質的な税金である政治資金が使途不明金になっている。言い換えれば、ポケットマネーになって

   いなければ、政治や選挙の裏金になっているわけで、政治資金の透明化を要求している規正法の趣

   旨に反していることになる(https://openpolitics.or.jp/investigation/2017031701.html

   2017.03.17自民党本部の使途不明金 政治資金センターみんなで調べよう政治とカネ 自民党本

   部の「組織活動費」「政策活動費」名目の支出、高額な使途不明金)。

 

  (2)規正法違反としての「不記載」または「虚偽の記入」

    ①「不記載」とは入出金の記載自体をあえてしないことであり、「虚偽の記入」とは、会計帳簿

     の記載事項について真実に反した記入をすることをいう。単なる記載忘れや計算誤りなどのよ

     うに軽微な過失によるものは含まれないと解されている。なお、虚偽の記入については、形式

     的な資金移動が合致していても、実態と乖離した迂回寄附も虚偽記入となる。また、会計責任

     者以外の者が行った場合であっても、会計帳簿の記載責任者が会計責任者であることから、会

     計責任者に故意又は重大な過失があるときは、会計責任者も処分の対象となると解されてい

     る。

 

    ②罰則と公民権停止

     ア、違反者は5年以下の禁錮(拘禁刑)又は100万円以下の罰金に処せられ(規正法251

      項)、公民権を停止される(規正法281項、2項)が、政治団体の代表者が会計責任者の選

      任及び監督について相当の注意を怠った時には、この代表者も50万円以下の罰金に処せられ

      (規正法25条)、公民権を停止される(規正法281項)。罰金刑に処せられた者は、その

      裁判が確定した日から5年間選挙権及び被選挙権を停止されるが、裁判所は、情状によって、

      刑の言渡しと同時に、選挙権及び被選挙権を停止しない旨(罰金刑の場合に限る)又は停止

      する期間を短縮する旨を宣告することができることとされている(規正法283項)。した

      がって刑の言渡しと同時に何らの宣告もなされない場合には、当然前述のとおり一定期間選

      挙権及び被選挙権は停止されることになる。

       ※菅原元経産大臣は、20184月から201910月までの間に選挙区内の33団体と26人に

        対し合計71回で総額約80万円の香典、祝儀等を違法に寄附したとして略式起訴され、罰

        金40万円と議員辞職を考慮されて公民権停止3年に短縮された略式命令が出された。

 

     イ、現実的には、罰金刑でも公民権停止の問題があり、政治家の政治生命にかかわることか

      ら、違反の程度にもよるがほとんど起訴猶予とされている。

 

  (3)アメリカ合衆国の場合、2010年の最高裁判決で「政治広告費の制限は言論の自由に反する」と

   の判断が下され、1人の政治家に対する献金上限は維持されたが、大統領選・下院選と中間選挙の間

   の2年間につき、個人から複数の政治家に献金できる総額の上限は撤廃されたため、企業や個人、団

   体からの献金に上限がない「スーパーPAC(政治活動委員会)」が誕生した。スーパーPACへの献

   金は連邦政府のルールで報告・開示が義務付けられており、提出された書類は連邦選挙委員会のウ

   ェブサイトで誰でも閲覧でき透明性は確保されている。しかし、「アメリカン・アクション・ネッ

   トワーク(AAN)」と称する非営利団体があり、この非営利団体は資金の拠出者を開示する必要が

   なく、「ダークマネー」と呼ばれ政治との関係を表沙汰にしたくない企業や富裕層にとって、非営

   利団体を隠れみのにした献金がされている。1議席を争うのに50億円とも言われる政治献金が集め

   られ、1946年に設けたロビイスト規制法に基づくロビイストのロビー活動のための費用(ちなみ

   に、ロビー活動に費やされた2021年の費用は20年比6.8%増の37億7000万ドル(約5100億円)と

   過去最高を記録)とともに金権選挙の温床となっている。中国やロシアからは「合法の汚職」とい

   う批判もある(2022.4.20,同21 日本経済新聞 アメリカン・デモクラシー 漂うマネー・惑う

   票3,同4)。

 

 4、識者等による問題点の指摘

  (1)政治家には、①政治家につき一つだけ認められる資金管理団体、②政治家が代表となる政党支

   部、③「後援会」などと呼ばれるその他団体、という三種類の「サイフ」があり、(中略)政党支

   部といっても、党勢拡大というよりも政治家個人の政治活動費用として用いられるわけであるか

   ら、政党支部で集めた「カネ」を後援会などに移転してしまえば、寄附元と支出先の対応関係が見

   えにくくなり、「マネー・ロンダリング」の効果を持つことになる(谷口将紀「政治とカネ」21世

   紀のガバナンスのあり方:日本の課題とアメリカの経験より一部引用)。

 

  (2)政治家や政治団体に「金」を提供する形には、①政治資金の提供、②パーティ券の購入、③選挙

   資金の提供、④賄賂の提供などがあり、「金」の出所には正規の経理処理等により支出されるいわ

   ゆる「表のカネ」と、簿外処理により捻出したいわゆる「裏金」があるところ、これまで検察は裏

   金」による贈収賄などの「実質犯」に重きを置き、規正法は「形式犯」として軽視される傾向が長

   く続き、数多くのゼネコンが知事や市長に多額の賄賂を供与したとして摘発された平成5年のゼネコ

   ン汚職事件においても、贈収賄罪が摘発の中心で規正法違反はまったく問題とされなかった。しか

   し、平成6年の改正法が施行されてからはたとえ「表のカネ」であっても資金の透明性を害する行為

   に対しては厳正に対処していく強い姿勢が感じられる(宗像紀夫 政治資金規正法と企業の実務対

   策(下)―違反リスク回避ポイント NBL No.907 2009.6.15 90頁)。

    ※中島洋次郎元衆院議員(平成10年)、山本譲司元衆院議員(平成12年)、鈴木宗男衆院議員

     (平成14年)を詐欺や収賄罪との抱き合わせではあるが、規正法違反で起訴するに至ってい

     る。規正法違反の罪だけで国会議員を逮捕したのは、坂井隆憲元衆院議員(平成15年)のケー

     スが初めてだった。この後も、日本歯科医師連盟による旧橋本派への1億円ヤミ献金事件で村岡

     兼造元官房長官を在宅起訴しているし(平成16年)、西松建設側が禁止されている企業献金を

     小沢議員個人の資金管理団体に政治団体名義で寄附をしたとして、西松建設側の國澤幹雄と小

     沢議員側の大久保隆規が起訴された(平成21年)。地方政界がらみでも、土屋義彦元埼玉県知

     事長女による資金管理団体からの1億円余の私的流用事件(虚偽記載、平成15年)が摘発され

     ている。

 

  (3)「国政選挙の候補者、特に現職国会議員と地方議員や首長らとの間での現金のやり取りは、普通

   に行われている。・・・選挙区支部や政治資金団体を介して行われるこの金のやり取りは全くの適

   法である。地方議員の支部に対しての寄附は、相手の政治活動を支援するという意図をもった現金

   授受とみなされ、合法なのである。・・・令和元年の参議院議員選挙の公示前にも、各議員の収支

   報告書を見ればわかるとおり、候補者または候補者を支援している国会議員と地方議員らとの間

   で、金のやり取りが与野党問わず全国至る所で行われている。しかも。この年の四月には統一地方

   選挙があった。多くの現職国会議員並びにベテラン地方議員らは、関係のある地方議員に対して

   『陣中見舞い』として金を配る。・・・各議員への寄附は、会計処理の段階、つまり政治資金収支

   報告書提出期限の翌年の五月までに、政党支部からの寄附という形にすれば、・・合法な支出とす

   ることができるはずなのである(もちろん、私が渡した金の全額ではない。私は公示後にも金を渡

   しているし、間違いを犯したことを私は素直に認める)。」(河井克行 獄中手記 月刊Hanada 

   20223月号 41頁)

 

第3,選挙運動の資金と規制(選挙とカネ)

 1,選挙資金の収集

  (1)選挙運動に関して政党から公職の候補者個人が寄附を受けた場合(例えば、公認推薦料など)に

   ついては、公選法により提出が義務づけられている選挙運動費用収支報告書において、その使途を

   報告しなければなりません。

 

  (2)しかし、選挙資金か政治活動資金かの区別はできず公職の候補者(公職の候補者となろうとする

   者及び公職にある者を含む)が政党から受けた寄附については、政治活動のために自ら取り扱い、

   支出することもできますが、資金管理団体に取り扱わせるために寄附する場合は、寄附の量的制限

   に関する規定は適用されません。政党から受けた寄附を資金管理団体に寄附するかどうかは公職の

   候補者の判断によるところであり、資金管理団体に寄附しない場合には、政党から受けた寄附につ

   いて、その使途の報告の必要はありません(第五次改訂版 Q&A政治資金ハンドブック274頁 政

   治資金制度研究会編集 ぎょうせい 平成216月)。

 

  (3)この点、自民党は組織活動費(政治活動費)の名目で(当時)2,936百万円を支出しているが、

   そのうちの1,403百万円(48%)は二階俊博幹事長に、69百万円は同年8月まで党の国会対策委員

   長を務めた竹下亘氏に、それぞれ支払われている。しかし、二階氏の政治団体(新政経研究会)の

   収支報告書をみても、収入の部の寄附の合計は530万円で党本部から受け入れた1,403百万円がこ

   のなかに含まれていない。1992年に成立した「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等

   に関する法律」は、国会議員に対し、任期の開始の日および任期開始後毎年、保有する資産等を議

   院の議長に提出することを義務づけるとともに(同法2)、所得税法が規定する種類ごとに毎年度の

   総所得等を議院の議長に提出することを義務づけているが(同法3)、同年に両院議長において協議

   決定された「国会議員の資産等の公開に関する規程」5条によると、国会議員に求められる所得等報

   告書は納税申告書の写しの提出で代えることができるとされた。また、国会議員が政治資金の名目

   で収受する寄附等は、そこから諸々の政治活動に要した経費を差し引いた残額があった場合に、雑

   所得として課税されるが、そのような残額は通常なく、あったとしても把握するのは難しいとみな

   され、特段、税務調査をされることもなく、放置されているのが実態である。こうした納税申告の

   扱いに準じて提出される国会議員の所得等報告書には各種寄附金、党本部からの交付金は、たとえ

   それが巨額であっても、政治活動に使われたという大義名分だけで報告を要しないという扱いが、

   あたかも「聖域」かのように運用しているのが実情である(醍醐聰「政治とカネと会計責任」リク

   ルート事件で幕を開けた平成 企業会計2019 Vol71 No5 596頁、597頁)。

    ※不明朗な政治資金の支出があって、そのうちに私的な流用があった場合には雑所得として個人

     の課税対象となる。

 

  (4)自民党本部は、毎年、高額な政党交付金を受け取っているが、同本部は、毎年、都道府県支部連

   合会や各支部に対し交付金を出している。それゆえ、自民党の都道府県支部連合会や全国の支部の

   使途不明金の原資は、事実上政党交付金であると言っても過言ではない。つまり、自民党の都道府

   県支部連合会や各支部の使途不明金は、事実上税金が使途不明金になっているに等しいのである。

   このことは、規正法が遵守されず、違法な運用がなされた結果なのである。規正法は、国会議員な

   どの「公職の候補者」に対する政治活動のための寄附を原則として禁止しているが、その寄附者が

   政党の場合については例外として許容している(規正法21条の2)ので、自民党本部は前述のよう

   に「政策活動費」等の名目の寄附を幹事長らに行っている。同法は、国会議員らのために政治資金

   の拠出を受ける「資金管理団体」を認めているので(規正法19条第1項)、国会議員個人が受け取

   った寄附は、この「資金管理団体」の収支報告書で記載されるべきだが、政界では、記載する必要

   はないという解釈・運用がなされ、検察はそれを追認してきた。つまり、党本部から受け取った議

   員は「政策活動費」を自己の資金管理団体で一切収支報告してはいないため、政治資金(実質は税

   金)が使途不明金(ポケットマネーまたは政治や選挙の裏金)になっている(上脇博之「政治資金

   制度―議会制民主主義を実現するための規正を」83頁 憲法研究第5号 201911月)。

 

  (5)2021年10月の衆院選前に前職の選挙区立候補者が京都府連を通じて京都府議、京都市議ら計約

   40人の政治団体に各50万円を交付したことや(2022.4.5中国新聞)、2019年の参院選公示の約1

   か月半前、当時の奈良県議22人の関連政治団体に自民党の堀井巌参院議員(奈良選挙区)が代表を

   務める政党支部がそれぞれ30万円を寄附したことが公選法上の当選を目的とする買収にあたるので

   はないかと問題になった(2022.5.28中国新聞)。また、千葉県東金市長や群馬県議が地元の市議

   選の陣中見舞いとして市議らに現金を配っているが、その背景には議会対策や勢力争いがあるとの

   指摘が出ており、2019年の参院選広島選挙区の大規模買収事件とも構図が似通っている。千葉県東

   金市長の場合は、東金市の鹿間陸郎市長が陣中見舞いとして現金を配ったのは、市議会で予算案の

   採決を控えた2月末。最大会派の市議との関係がこじれる中、市長派議員を増やす思惑や来年の市長

   選をにらんだ意図を感じた市議がいた。また、群馬県議の場合は、狩野浩志群馬県議が前橋市長選

   で支援した候補者が敗れ、近い関係の市議を増やす狙いがあったとの見方が大半を占める(中国新

   聞2021.5.2 決別金権政治大規模買収事件の波紋 千葉・群馬ルポ)。

    ※中国新聞が広島県内の全地方議員を対象に実施したアンケートで、国会議員が政党支部などを

     通じて地方議員に提供する交付金や寄附金について、回答者の9割が「必要ない」と答えた

     (2021.1.1中国新聞)。

 

 2、公職の候補者等による公選法上の寄附の禁止

  (1)公職の候補者や後援団体による選挙区内の有権者への寄附は禁じられている(公選法199条の

   2)。有権者との関係が金銭や物品でつながれば、政治の公正さが失われかねないためである。結婚

   や入学の祝い金、病気見舞いの果物、町の運動会への飲食物の差し入れも禁止されており、有権者

   が求めてもいけない。選挙区内にある方の結婚披露宴や葬儀に政治家本人の代わりに政治家の秘書

   や配偶者が出席して政治家本人からの祝儀や香典を渡すことは罰則をもって禁止されているが、政

   治家本人が自ら出席して祝儀や香典をその場で出すことは罰則をもってまでは禁止されていない。

   なお、政党支部としての寄附は認められているが、この場合でも政治家の名前を表示してはいけな

   い。顔写真を付けるような「類推される方法」も法に抵触する。公選法を所管する総務省は、「配

   る際に政治家の名前を口頭で伝えただけでも、政治家による寄附行為に当たる恐れがある」と国会

   で答弁した。

 

  (2)過去において、小野寺五典元防衛相は、名前が入った線香を自ら配ったとして公選法違反容疑で

   書類送検され、2000年に議員辞職した。松島みどり元法相は、名前入りのうちわを配布したことが

   公選法違反と指摘され、2014年に閣僚を辞任し、刑事告発されたが不起訴処分となった。山尾(当

   時)(現在は菅野)志桜里衆院議員は、自身の後援団体である資金管理団体「桜友会」が有権者に

   香典などを渡したことが2016年に発覚し、刑事告発されたが不起訴処分となった。

 

  (3)公選法が禁じる寄附行為はあくまで「選挙区内」に限定されるので小選挙区選出の衆院議員であ

   れば、自身の選挙区ではない被災した自治体に寄附をすることはできる。総務省のホームページに

   は「政治家と有権者のつながりは大切だ。しかし、金銭や品物で関係が培われるようでは明るい選

   挙、お金のかからない選挙に近づくことはできない」と記されている。

 

 3、選挙費用の上限設定(法定選挙費用)と公費負担

  (1)立候補届が受理された時点から選挙期日の前日の午後12時(選挙カーなどでの連呼行為や街頭

   演説は午後8時)までの選挙運動期間中に選挙運動費用として支出することができる最高限度額のこ

   とを法定選挙費用と言い、選挙の種類によって異なるが、選挙人名簿に登録されている有権者数に

   人数割額を乗じて得た額と固定額の合算額などとなります。例えば、2021年の衆議院選挙(小選挙

   区)では、上限が平均約2480万円、2019年の参議院選挙(選挙区)では約4380万円、比例区は

   5200万円です。都道府県や全国を単位とする参議院の方が有権者も多いため、上限が高くなってい

   ます。

    ※衆議院小選挙区選挙の場合で固定額1,910万円(選挙区により2,130万円または2,350万円)

     に、人数割額として有権者1人あたり15円で計算した額を加算したものとなり、参議院比例代

     表選挙の場合では5,200万円の一律となり参議院選挙区選挙の場合で、固定額2,370万円(北

     海道は2,900万円)に人数割額として、有権者1人あたり13円(1人の選挙区)または20円(2

     人以上の選挙区)で計算した額を加算したものです。都道府県知事選挙の場合、固定額2,420

     万円(北海道は3,020万円)に人数割額として、有権者1人あたり7円で計算した額を加算した

     もの、指定都市の長の選挙の場合で、固定額1,450万円に人数割額として有権者1人あたり7円

     で計算した額を加算したもの、指定都市以外の市および特別区の長の選挙の場合で、固定額

     310万円に人数割額として有権者1人あたり81円で計算した額を加算したものとなる。なお、

     衆議院小選挙区選挙、衆議院・参議院比例代表選挙で候補者や候補者名簿を届け出た政党等に

     は、こうした選挙運動費用の制限は適用されない。

 

  (2)選挙運動費用の一部である選挙公報の発行、ポスター掲示場の設置、通常はがきの交付、新聞広

   告、政見放送、経歴放送などが公費で負担されている。

 

 4、公選法違反としての「買収」と「被買収」

  (1)買収には選挙(投票)買収と運動買収がある。

    ①選挙(投票)買収については、国会議員が夏と冬に選挙区内の地方議員へ資金を渡す「氷代・

    餅代」、統一地方選があれば「陣中見舞い」(上限は寄附者1人当たり150万円)や「当選祝い」

    のように政界では政治家同士が資金をやりとりする慣習がある。規正法に基づき、政党支部など

    の政治団体間の寄附や交付金として処理され、領収書を交わし政治資金収支報告書に記載し、都

    道府県選管などに提出後、国民に公開される。一方で、自分の選挙区内の政治家に資金を提供し

    た場合、買収の意図のある金が含まれていれば選挙買収の可能性が出てくる。ちなみに、「陣中

    見舞い」の収入は選挙管理委員会に報告されていれば所得税・贈与税は非課税となる。

 

    ②運動買収は、「手弁当」で自己の支持する候補者の当選をめざして運動すべきものであるとい

    う「選挙運動無報酬の原則」があるが、実際には、選挙運動に要する費用の一切を選挙運動者の

    負担に帰せしめるというのは選挙運動者に酷であり、実情に合わないので公選法197条の2等によ

    って、選挙運動者の労務に対し一定限度で費用の支出を認めている。

      ※公選法は、①選挙運動のために使用する労務者、②選挙運動のために使用する事務員、③

       車上等運動員、④手話通訳者等には、上限はあるものの報酬を支払うことができますが

      (公選法197条の2)、それ以外に報酬は支払えません。①については、1日につき1万円以

       内、ただし労務者に弁当を提供した場合には報酬から弁当の実費相当額を差し引きます。1

       日につき5,000円までであれば超過通勤手当を支払えます。期間・人数の制限はありませ

       ん。②については、1日につき1万円以内の報酬を支払うことができ、超過勤務手当を支払

       うことはできません。1日につき候補者1人につき、車上等運動員と手話通訳者等の合計で

       50人を超えない範囲内で雇うことができます。③については、1日につき1万5,000円以内

       で報酬を支払うことができ、超過勤務手当は支払えません。選挙カーの稼働時間は午前8時

       から午後8時までですので、超過勤務手当を支払えない以上、午前8時から午後8時までフ

       ルに選挙カーを動かすのであれば、労働基準法上の法定労働時間内で勤務する車上等運動

       員を複数人野党ことになります。④については、1日につき1万5,000円以内であれば、報

       酬を支払えます。超過勤務手当を支払うことはできません(公選法施行令129条1項ないし

       4項)(関口慶太、竹内彰志、金子春菜編著 こんなときどうする?選挙運動150問150答 

       Q47、48 ミネルヴァ書房 2020年11月)。

 

    ③買収罪が成立するためには、供与者、受供与者の双方に、その供与が当選獲得目的であるとい

    う趣旨の認識が必要であるが、供述のほか供与の時期、方法、態様等の客観的状況によって認定

    されることから、供与者が当選獲得目的の趣旨で供与しているのに、受供与者がそれを未必的に

    も認識がなかったということはあまりないであろう。なお、趣旨の認識以前の問題として、受領

    の意思の認定も必要となり、受供与者において費消ないし混同した場合は問題ないが、それ以外

    の場合には受供与者が目的物が何であるかをいつどうして認識したか、不受領ないし返却の意図

    を示す余地があったか、現実にこれを示したか否か、その後の目的物の保管状況や期間、その間

    における返却の可否難易等の諸点を総合判断すべきことになる。受供与者に受領の意思や趣旨の

    認識が認められなければ、供与者の申込罪のみが成立することになる。

 

  (2)罰則と公民権停止

    ①買収および被買収の選挙犯罪者は、3年以下の懲役若しくは禁錮(拘禁刑)又は50万円以下の

    罰金に処され(公選法2211項)、原則5年間公民権を停止されるが、裁判所は情状によって、

    刑の言渡しと同時に公民権を停止しない旨または停止する期間を短縮する旨を宣告することがで

    きる(公選法2524項)。

 

    ②現実的には、罰金刑でも公民権停止の問題があり、政治家の政治生命にかかわることから、違

    反の程度にもよるが起訴猶予とされることもある。

 

 5,識者、政治家による問題点の指摘

  (1規正法は、政治資金収支報告書の数字と領収書の帳尻が合っていればお金の意味については問わ

   れない。一方、公選法では資金提供の時期や意図によっては買収に問われる。規正法では合法でも

   公選法では罪になるようなケースがあり、「二重基準」になっているのが問題であり、2つの法律は

   一本化する必要があるし、買収に利用されかねない政党支部間の資金提供は禁止するなど法改正が

   必要だ。また、議員の処分については刑事罰に頼るのではなく、議会の自浄作用も重要になってく

   る。欧米では刑事罰より政治罰。議会の政治倫理審査会から非難決議をされると、政治家として立

   ち上がれない状況になるなど、審査会が機能している(元日本大法学部教授岩井奉信氏(政治

   学))。

 

  (2)「公職の候補者は公選法で選挙区での寄附が制限されているが、政治団体、政党支部は除外され

   ている。このため、地方議員が関係する政治団体、政党支部へのカネは選挙前でも配れる。それを

   一定期間は、政治団体、政党支部に対してであっても公職の候補者からの寄附は禁止する。条文を

   数行改正すれば簡単に禁止できる。」(2022421日 中国新聞 決別金権選挙 識者3人イン

   タビュー 郷原信郎氏の発言)

 

  (3)選挙の時期によって政治活動と選挙運動との線引きはあいまいとされ、専門家には「政治活動と

   称する実質的な選挙運動が展開されるケースが多い」との批判があるが、選挙の現場においては次

   のやりとりが参考となる。

   「―選挙期間中の前後3か月を外した現金授受はセーフだという、3か月ルールもあるんですね。

   『まあ、昔からそう言われているんですね。県警の取締本部が設けられているのがだいたいその期

   間ですよ。うどん一杯でもおごってもらわんように気をつけろ、と黄色信号がともる。それもおか

   しいと思うんよ。選挙の運動そのものは公示から投票日の間でないといけないけど、それ以外なら

   政党活動なら許されますよというようなことが決められている。じゃあ、何でお金のやりとりは3

   月前までに限られるのか。200日前、1年前なら問題ない。だったら、全部規制せいやと思う。

   (常井健一 「おもちゃ 河井案里との対話」337338頁 檜山俊宏氏とのインタビュー 文藝

   春秋 20222月)

 

第4、小括

    政党の政治資金は個人献金と党費でまかなわれるべきなのが理想の姿であるが、現実はほど遠

   い。政治に「カネ」がかかるのは、選挙で当選するための地盤固めや票集めに日常からの秘書等に

   よる活動が必要であり、そのための人件費が相当のウエートを占めているからである。「政策活動

   費」ないし「組織活動費」の名目で政党の有力政治家を経由して党の政治家に事実上報告義務なく

   配布される仕組みが存続している以上、いくら政治家個人への献金を禁止しても、政治とカネにま

   つわる腐敗ないし不祥事はなくならず、これを防止するためには、政治に必要となるカネの流れを

   できるだけ透明化していくしかない。政治と「カネ」の問題は、選挙制度はもとより国民の政治意

   識とも密接に関係してくることから、政治と「カネ」に関する不祥事の問題が一旦大きくなると、

   時の内閣支持率に大きく影響し、政権の不安定要素や政局ともなってくるものである。

 

 

 

    (付記)中国新聞は、「ばらまき」(282頁ないし285頁)(中国新聞「決別金権政治」取材班 

       集英社 2021.12)や中国新聞2021.5.27の紙面において、約2800万円余りの買収資金の

       出所は、自民党から河井夫妻に渡った1億5000円とは別に、当時の安倍政権中枢から提供

       された別の裏金が原資だった疑いがあるとしているが、政治ジャーナリストの田崎史郎氏

       は官房機密費についてはその可能性は低いとしている(2022.4.21中国新聞「決別金権政

       治」識者3人インタビュー)。

 

 

 

  (参考文献)

   ・実務と研修のための わかりやすい公職選挙法 [第十六次改訂版] 選挙制度研究会編 ぎょうせい 

    令和3年7月

   ・逐条解説 政治資金規正法 [第二次改訂版] 政治資金制度研究会編集 ぎょうせい 平成14年8月

   ・平成31年1月改訂版 くらしの中の選挙 公益財団法人明るい選挙推進協会

   ・政治資金規正法のあらまし 総務省自治行政局選挙部政治資金課

   ・Q&A政治資金ハンドブック(第五次改訂版)政治資金制度研究会編集 ぎょうせい 平成21年6

    月

   ・政治資金規正法要覧<第五次改訂版>政治資金制度研究会 監修 平成27年9月

ウクライナは対岸の火事ではない

1,ロシアのウクライナ侵攻は、2014年のクリミア併合が国際的な承認を得られていない中、独立後30年以上になるウクライナの領土を武力により侵略していることから、明らかに国際法に違反している。ウクライナはNATOの加盟国ではないため、NATOとして集団的自衛権を行使することはなく、国際連合も、ロシアが常任理事国としての拒否権を行使するため、国際平和維持軍を派遣することができず、国連総会における非難決議を採択することしかできない。米国やNATO加盟国としては、ロシアと戦争をすることは第3次世界大戦になる恐れが高いので、ウクライナに対する資金援助や武器供与を上回る軍事援助については慎重にならざるを得ない。ロシアの侵攻を止めるためには、経済制裁によるロシアの自粛を求めるか、当事国であるロシアとウクライナの停戦協議にまかせるしかないが、停戦協議中もロシアが侵攻を続け、多くのウクライナ市民の犠牲者が出ることに対しては、どうしようもないもどかしさを感じる。しかし、ロシアのウクライナ侵攻の問題は、ロシアのプーチン大統領が中国の北京冬季五輪開会式出席に際し、中国の習近平国家主席と会談し相互協力を約束していることから、中国の台湾統一の問題につながり、日本にとっては日米安保条約にもとづく米軍基地利用の問題や尖閣諸島の領土問題に波及してくることになる。

 

2,中国は、香港返還後に国家安全法を制定して「一国二制度」をないものとし、「一つの中国」という核心的利益のために、台湾統一を国家目標にして示威的行動を繰り返してきたが、中国にとって台湾は半導体産業の集積地という意味でも、是非とも手に入れたい領土である。一方、台湾には米国が前トランプ政権から米中貿易戦争を契機に関与を深めており、中国が軍事侵攻するような場合は、経済的制裁だけでなく、軍事的反撃も強く予想される。習近平氏は2022年秋の党大会において異例の3期目に入るとされているが、台湾統一に並々ならぬ意思を示していることから、これまで共産党と国民党の間で暗黙に合意されたと言われる「92年コンセンサス」、特に台湾側が主張する「一つの中国 各自表現」という創造的曖昧さで棚上げできるような段階ではないと考えられている。とりわけ、習近平氏は、死後25年になるが中国の繁栄の基礎を築いた鄧小平氏の改革開放・とう光養かい(「才能を隠して、内に力を蓄える」の意味)・集団指導体制・先富論を否定するかたちで、中国の夢・戦狼外交・権力集中・共同富裕を宣明し、「一帯一路」のスローガンの下、資源国等に対する債務供与により「債務の罠」とも言うべき疑惑がもたれる中、デジタル人民元の通貨圏構築等により、独自の経済圏確立を準備していることから、「侵略」とは認めていないロシアのウクライナ侵攻の国際的帰趨を見定めながら、台湾統一という次の行動に出るべく着々と準備しているものと考えられる。

 

3,中国は、「一つの中国」の理念により、台湾を国家的存在とは認めず、諸外国に台湾との断交を求めて孤立化を進めるとともに、南シナ海の軍事拠点化を実行しようとしているが、国際法上、台湾には「事実上の統治体」として自衛権があり、また自決権もあることから、自衛権の権利主体からの要請により、一定の同盟関係の下での集団的自衛権の行使は可能であり、自決権に基づく自己決定・自己統治の機会を奪うような行為は禁止されるものである。国際法に反するような行動は国際世論の反発を受けることは必至である。台湾は民主主義国であり、地理的に枢要な場所に位置しており、フォーリン・アフェアーズ2021年11月号に掲載された台湾の蔡英文総統の「国際社会における台湾の役割ー『権威主義VS.民主主義』モデル競争の中で」と題する論文では、力強い民主主義と欧米のスタイルをとりながらも、中国文明の影響を受け、アジアの伝統によって規定されてる台湾が倒れれば、地域的平和と民主的同盟システムにとって壊滅的な事態になる、と訴えられている。台湾の民主主義では、天才IT大臣オードリー・タン氏によって選挙の形骸化が修正され、市民が直接政治に参加できるデジタルプラットフォームがあり、誰もが発起人になって自身のアイデアをオンラインで提出できるようになっており、日本をはじめ他の民主主義国にとっても貴重な先例として見習うべきところが多い。

 

4,中国の台湾進攻があるとすれば、,2024年の台湾総統選挙後、習近平氏の任期である2027年までの可能性が高いと言われているが、仮に台湾有事となった場合、米国の大統領が誰であろうとウクライナに対すると同様の態度をとるとは考えにくく、なんらかの攻撃に出る可能性が高い。この場合、日本の米軍基地が一つの拠点になることから、中国が黙って見過ごすことは考えられず、日本がウクライナと同様な状況になる可能性もあり、今後の米国の出方にもよるが、日本により強固な防衛体制が求められることになる。日本は、憲法9条との関係で、自衛権行使の限界、とりわけ自衛隊出動の限界が問題となってくるが、北朝鮮の核開発や度重なるミサイル発射もある国際情勢において、これまで通り憲法9条の平和主義を唱えるだけでは実効性がなく、経済安全保障体制の整備とともに、「力の正義」に対する抑止力としての防衛力を備えておかなければならず、そのためには防衛予算の増強とともに敵基地攻撃能力も含めた抜本的な防衛力の見直しが必要となる。

 

5,かの佐藤栄作からの歴代首相のブレーンとして活躍した国際政治学者高坂正尭氏は、91年の湾岸戦争を契機に改憲論に主張を転換したが、戦後民主主義の旗手として長く論壇で活躍した鶴見俊輔氏においても、今から20年以上前の憲法50周年にあたっての感想を訊いた朝日新聞のインタビューに、「いまに引き寄せて考えると、憲法改正に関する国民投票を恐れてはいけない。その機会が訪れたら進んでとらえるのがいいんじゃないかな」「国民投票の結果、護憲派が6対4で負けるかもしれない。でも、4は残る。あるいはすれすれで勝つかもしれない。負けても4あることは力になる。そんなに簡単に踏みつぶせませんよ」と述べている。ワシントンDCにあるアーリントン墓地の記念碑の中央部分には、「ここに平和の価値を記す」と刻まれているようであるが、現在の日本の平和や民主主義はきれいごとだけでは守られないことを肝に銘じておくべきである、

 

デジタル国家エストニア~日本はエストニアに追いつけるか

1、菅首相は日本の生産性を向上させるためにデジタル庁の設置に本腰を入れているが、国をデジタル化することにおいて日本が模範とすべき国がある。それがエストニアである。バルト3国で最も北のフィンランド湾に面する国である。人口は日本の100分の1、面積は8分の1程度である。首都タリンは中世の面影を残し、旧市街は1997(平成9)年にユネスコの世界遺産に登録された、ヨーロッパ内でも貴重な街とし知られている。そのエストニアは、電子政府の進み具合を示す国連のランキングで2020(令和2)年に首位デンマーク、2位韓国についで3位にランクされており(日本は14位)、スイスの有力ビジネススクール「IMD」が発表した全63か国・地域中のデジタル競争力ランキングでは、日本が前年より順位を4つ落として27位であったのと対照的に、順位を29位から21位に上げている。このランキングは、政府や企業が変革に向けどれだけ積極的にデジタル技術を活用しているかを示したもので、知識・技術・将来への備えの3項目で評価されているが、日本はビッグデータの活用や企業の対応が大幅に遅れているものである(日本経済新聞 2020(令和2)年9月6日 きょうのことば、同年10月2日「デジタル競争力 日本27位に後退」スイスIMD調べ)。

 

2、エストニアのIT立国の始まりは1991(平成3)年8月のソ連からの独立にさかのぼる。それまでエストニアの歴史は外国による支配の繰り返しであった。欧州とロシアの境に位置する要衝の地であったことから、13世紀のデンマークの侵攻以来、ドイツやスウェーデン、ロシアによる支配が相次ぎ、1917(大正6)年のロシア革命後に一時独立したが、第2次世界大戦中にソ連に併合される苦難を経て、1991年に独立を果たしたものである。独立後は北大西洋条約機構(NATO)やEUにも加盟したが、特定国の影響下に入るのを避けるために取り組んだのがIT分野を育成して投資を呼び込むことで、幸いソ連時代の1960(昭和35)年代に創設されたサイバネティックス研究所のひとつが首都タリンにあり、優秀な技術者が残っていたことから、当時のラール首相の時から効率的な電子行政システム構築を目指したものである。

 

3、エストニアでは、2002(平成14)年から15歳以上の国民全員が電子認証・署名の機能を持つ電子IDカードを所有するようになり、このカードは行政サービスに欠かせないだけでなく、運天免許証、健康保険証なども兼ねており、民間オンラインサービスも利用できるものであった。しかし、2007(平成19)年にロシアからとみられる世界初の国家を対象としたサイバー攻撃を受け、政府や銀行のシステムが一時ダウンすることになった。これを契機にエストニアでは官民連携でセキュリティーを強化し、2008(平成20)年にはNATOのサイバー防衛協力センターが設立され、サーバーのバックアップとして同じNATOのルクセンブルクに「データ大使館」を開設している。国土を侵略された場合でも、国民の情報を国外に保管しておけば、電子上で国家行政を執り行え国家を残すことができるからである。

 

4.資源小国のエストニアが限られたヒトとカネで新生国家を築くために注目したのがブロックチェーンである。ブロックチェーンとは、ビットコインなどの仮想通貨(暗号資産)を支える技術として普及したが、インターネットでつながる複数のコンピューターで取引記録を共有し、分散して管理する仕組みであり、新たな記録が発生するとその情報がすべての参加者に送られて参加者すべての台帳が書き換えられるため、過去の記録の改ざんが事実上不可能となるのである。エストニアではセキュリティー企業ガードタイムが開発した技術が採用してリアルタイムでデータの改ざんを検知でき、誰がいつデータにアクセスしたかはすべて記録され、国民は自分のデータが閲覧された理由を照会でき、不正アクセスに対しては厳しい刑罰化が科されている。エストニアはこのブロックチェーンを活用して、領土という概念に縛られないデジタル国家を築き上げ、透明性の高い制度に魅せられて世界中から優秀な人材が集まり、次々と起業することで経済成長を遂げている。

 

5、エストニアの新興企業を調査・支援するスタートアップ・エストニアによると、エストニアには約550社のスタートアップ企業があり、これらの企業への投資額は2018(平成30)年が約3憶2800万ユーロ(約410億円)で5年前の10倍に拡大し、その9割が外国からとのことである。起業の活発さを示す総合起業活動指数は米英を上回り世界首位で、主だったものは通話ソフトのスカイプを筆頭に、国際送金を手掛ける英トランスファーワイズ、配車アプリのタクシファイ、世界中の人材と企業を結びつける求人サイトジョバティカルなどである(以上、2ないし5 日本経済新聞 2019(平成31)年4月3日 Disruption 断絶の先に 第1部 ブロックチェーンが変える未来① 国土破れてもデータあり、2020(令和2)年8月12日 中外時評 新常態、エストニアの教訓)。

 

6、さて、改めて顧みて日本はどうであろうか。日本では中央官庁や地方自治体ごとに巨大で複雑な「独自仕様」のコンピューター・システムとなっていることから、これらの構築、更新、メンテナンスにそれぞれ年間1兆円ずつの予算が投じられているが、システムの標準化によるデータのやり取りの簡易化や先端技術であるクラウド・コンピューティングの導入が遅れ、日本の政府は中央・地方とも世界屈指の「デジタル化後進国」となっている。経済産業研究所が2019(令和元)年12月に公表した「事業者目線での行政手続きコスト削減」によると、許認可の取得や各種の届け出といった行政手続きに日本の民間企業が費やしている時間は、国と都道府県を合わせて年間に12憶3278万時間で、金額に換算すると3兆1070億円に上るとのことである。ITベンチャーなどの新興企業が中心メンバーになっている新経済連盟の試算では、これらの労務手続きをすべてデジタル化することによって年間2000億円、さらに紙の帳簿を電子保存に切り替えることで1兆8000億円、しめて2兆円の生産性向上が見込めるという(ザ・ファクタVOL177 2021.1 デジタル政府の岩盤「ITゼネコン」)。早急に手を打たなければ、日本はエストニアに追いつくどころか、いつまでも「デジタル後進国」と言われ続けることを肝に銘ずべきである。

 

ラディカル・デモクラシーと分散型技術

1、「ラディカル」と言えば、「過激な」とか「急進的な」という意味を思い浮かべがちであるが、ここでは「根源的な」とか「根本的な」という意味で使うことをお断りしておく。したがって、ラディカル・デモクラシーとは、根源的なデモクラシー、つまり、草の根民主主義や参加型民主主義のことを意味している。では、どのように分散型技術と結びつくのかかが今回の話題である。

 

2、2017(平成29)年12月から2020(令和2)年3月にかけて、日本経済新聞紙上で度々注目されている人物がいる。台湾で分散型技術を使い行政に「市民の声」を取り込む試みを進めている唐鳳(オードリー・タン)氏である。30代半ばでデジタル担当相に就任した異才で、若者らが立法院(国会)を占拠した2014年の「ひまわり学生運動」では、民間ハッカーとして活躍していたとのことである。唐氏は、2016年10月に政権に参加すると、分散型技術のオンライン・プラットホームを通じて、新たな請願システムや、政府が提案する規制やインフラ建設計画などへの意見を取り入れている。唐氏は、ネットを利用した民意くみ取りの意義について「政治家や業界団体への発言力を持たない若い世代でも、政治に参加することはできる」と説明し、行政の情報公開の拡大についても「政府自体がデジタル化すれば、もっと安く簡単に情報公開できる」としている(日本経済新聞2017(29).12.27 台湾、広がる草の根民主主義)。

 

3、もう一つ、分散型技術が参加型民主主義に利用されているのが、重み付け投票である。これは、一つの議題に対して賛成か反対かの二者択一ではなく、一つの議題に含まれている複数の争点について、デジタル・プラットホームを通じて自分がどこをどのように重視しているかを表明できる手法であり、予算の割り当てや人員の配置割合などに適している。米コロラド州議会の下院歳出委員会では、4000万ドル(約44億円)の予算に対して提案された100以上の使い道の案のどれにどのように予算を割り当てるかを決めていく際に、重み付け投票を使い迅速に答えを導き出した例もあるようである(日本経済新聞2020(令和2).221 英フィナンシャル・タイムズのコラム 民主主義を鍛える「分散化」グローバル・ビジネス・コメンテーター ラナ・フォルーハー)。

 

4、分散型技術をうまく利用することによって、参加型民主主義を実現することは可能なようであるが、個の力がより強まる分散型ネットにおける倫理やルールをしっかりしておかなければ、今度は個人が価値観でつながり新たな対立を生むことにもなるので、政治が世界全体の設計に携わり、広範な知見がインストールされるように働きかけなければならない(日本経済新聞2020(令和2).3.22 風見鶏 ディストピアからの脱出)。

「くじ引き」民主主義について~選挙制と抽選制

1、「くじ引き」すなわち抽選制は、古代アテナイから民主主義の方式とされてきた伝統をもち、選挙制は貴族主義の方式だと長らく理解されてきた。しかし、18世紀のアメリカ革命やフランス革命以降、抽選制ではなく民主主義といえば選挙制だと考えられるようになった。

 

2、しかるに、現在の選挙制にもとづく民主主義は、株主資本主義からくる環境問題、移民問題のほか、グローバル化により肥大化したGAFAなどの寡占企業の経済活動による貧富の格差拡大の影響もあって、ナショナリズムやポピュリズムが台頭し機能不全と思われる状態に陥っている。日本の議会制民主主義においても、国会審議は形骸化して個々の法案の採決を左右しているとはいいがたく、また、次の総選挙での政権選択に結びついているとも言いがたい上、現在の国会議員には世襲議員や野心家が少なくないこともあって、政治不信からくる投票率の低下を招き、地方選挙においては無投票当選の増加現象も出てきている。

 

3、このような現況において、1冊の本が注目を集めている。日本においては、2019(平成31)年4月に翻訳・初版された、ダーヴイット・ヴァン・レイブルック(以下、レイブルックという)の「選挙制を疑う」(法政大学出版局)という本である。レイブルックは、ヨーロッパを代表する知識人の一人とされていり、現在、特定の研究機関には所属せず、ベルギーのブリュッセルを拠点に活躍している作家であるが、レイブルックの診断によると、民主主義疲れ症候群の原因は、現在の議会制民主主義それ自体にあるわけではなく、政治家のポピュリズムや専門家集団(テクノクラシー)の専横にあるのでもなく、代表を選挙で選出する選挙制にあるとし、対案として、代表をくじ引きで選出する抽選制の議会制民主主義、より正確にいえば、選挙制と抽選制の並立形態である二重代表制を模索している。

 

4、レイブルックの指摘にもあるように、有権者による統制すなわち正当性の点では、有権者が総選挙で審判を下せる選挙制のほうが優れており、能力という点でも、無能な候補者が淘汰され、政党によって支えられる選挙制のほうが優れているが、政治的機会の平等や公平な熟議という点では抽選制のほうが優れている。それは議員の選出に多様性が生まれ、金銭やイデオロギーの影響をうけにくく、政党や選挙民からより自由な立場にあるといえるからである。このように選挙制と抽選制には一長一短があるが、選挙制か抽選制の二者択一ではなく、両者の長所を組み合わせて相乗効果をもたらすことを考えていくべきであろう。

 

5、日本においても、「くじ」はしばしば利用されており、同時に申請された商標登録の優先順位、公売における落札者の決定、国民審査に付される最高裁裁判官の告示の順序、裁判員の選任などに利用されているほか、公職選挙法上の選挙において投票同数の場合の当選者の決定や国会における内閣総理大臣の指名においても投票同数の場合は「くじ」によるものとされている。「くじ」には偶然の要素はあるものの、低い投票率の選挙における一部の有権者の恣意や、業界団体・関係者等からの特殊利害の圧力を政治から排除できるという利点があるので、一定の合理性はあるといえる。

 

6、フランスにおいては、「黄色いベスト運動」に苦慮したマクロン大統領が、国民大討論会を重ねた末、新たな民主主義の手法として、人口構成を正確に反映するよう、性別、年齢、職業、学歴、居住地をもとに「くじ引き」で議員を抽出し、全国から選ばれた市民150人がパリ16区のイエナ宮で気候市民会議の議員とし、「社会的公正を守りながら温暖化ガスを2030年までに1990年比40%削減する」ための正式な政策と財源を策定している。最終案の発表は2020年4月とのことである(日本経済新聞 2020.1.12 風見鶏「プラトンと『民主主義3.0』」)。普段は政治家に対する不満ばかり言っていた市民が、ある日突然、責任をもって決断しなければならなくなる立場に置かれることは、政治の代謝を高め活性化させるといえる面がある。

 

7、レイブルックの「選挙制を疑う」の訳者である岡崎晴輝氏は、現役の法学部教授のまま裁判員に選出されるという得がたい機会に恵まれたことをきっかけとしてこの本を翻訳することになったが、その意味で抽選ないし偶然がこの本の上梓に作用していることになる。そして、岡崎氏は、政治学者として、抽選制による議会論を日本の国会に応用した場合、参議院議員を無作為抽出された有権者からの抽選制による市民院にするという試案を提示しておられるが(岡崎晴輝「選挙制と抽選制」 辻村みよ子責任編集 憲法研究2019.11)、能力や負担のほか憲法改正の問題も絡んでくるものの傾聴に値する議論であると思われる、

 

 

衆議院解散は内閣総理大臣のフリーハンドか

1、2020(令和2)年の政局の関心事は衆議院解散の時期である。というのも、現衆議院議員の任期は2021(令和3)年10月であるが、解散権を実質上握っている内閣総理大臣(首相)安倍晋三氏の自民党総裁としての任期は同年9月であることから、今後の政治日程や後継者と目される人を含めた自民党内の動勢との兼ね合いで、マスコミや政治関係者の間で大きな話題になるからである。

 

2、衆議院の解散権は憲法上は内閣にあるが(憲法7条本文および3号、同69条)、内閣の一体性から内閣総理大臣には国務大臣である閣僚を罷免することができるので(同68条2項)、実質上、内閣総理大臣である首相が解散権を行使できることになる。実際、2005(平成17)年の小泉純一郎首相は、閣議で解散に賛成しなかった農水大臣を罷免して「郵政解散」を断行している。では、内閣総理大臣はいつでも好きな時に解散権を行使できるのであろうか。この点について、解散権の根拠を確認した上で、解散権の限界を検討することとする。

 

3、解散権の根拠については、憲法上、7条説と69条説等があるが、天皇の国事行為としての「衆議院を解散すること」の「助言と承認」を内閣がすることから7条説が通説となっている。司法においても、1957(昭和32)年の吉田内閣による「抜き打ち解散」で衆議院議員を失職した苫米地義三氏が、解散の無効を理由に議員の地位確認と議員歳費支払いを求めた訴訟において、最高裁大法廷は、4裁判官の意見が付されたものの、7条説を事実上承認したうえで、解散のような「極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為」は司法判断の対象とならないとして請求を斥けている。ちなみに、この「(純粋な)統治行為論」は、同時期に大法廷に回付されていた砂川事件における「(変形的な)統治行為論」の形成に中心的役割を果たした入江俊郎最高裁判事の主導によるものであるとされている(嘉多山宗「統治構造において司法権が果たすべき役割[第5回] 判例時報2385号128頁)。

 

4、では、解散権の限界はどのよう画されるのであろうか。この問題は、憲法学上、これまでの7条説的慣行を含めた実例や今後の実践をどのように規範的に位置づけるべきかという問題であり、これまで政治道徳、憲法上の習律ないしは法的要請などと言われてきたものである。この点、少し古く政治的なものではあるが、1952(昭和27)年6月17日に国会の両院放棄委員会が衆議院解散に関して勧告を出しており、それによると内閣の裁量解散可能説を支持するものであったが、同時に、内閣の裁量を「あらたに国民の総意を問う必要がありと客観的に判断されうる十分な理由がある場合」に限定するものであり、「解散は、いやしくも、内閣の恣意的判断によってなされることのないようにせねばならない」と念を押した上で、「衆議院が解散に関する決議を成立せしめた場合には、これを尊重し、憲法第7条により解散の助言と承認を行うがごとき慣例を樹立することが望まし」いとも述べられている(山本龍彦ほか「憲法判例から見る日本」第12章 日本の解散権は自由すぎる!? 258頁 日本評論社 2016年9月)。この点からすると、衆参同時選挙は余程のことでもない限り恣意的なものとなるであろう。

 

5、憲法と同時に施行された地方自治法にも憲法69条と同じ仕組みの規定があり、法178条によれば自治体の議会が長(知事または市町村長)の不信任の議決をしたときには、長は議会を解散することができるとされており、自治体の場合は首長がそのまま解散するが、国の場合には天皇の国事行為とされただけであり、憲法7条の国事行為として「憲法改正の公布」があるからと言って内閣が憲法改正をできないのと同様に、同条を根拠に内閣は衆議院解散をできないと言えなくもないが、実務慣行を前提とするとしても、やはり予算が否決されたとか重要法案を巡って国論が大きく分かれたときなど内閣不信任に匹敵するようなことがある場合に限られるべきであろうとする議論にはある意味説得力があるというべきである(片山善博「衆院解散の根拠」中国新聞 オピニオン 2017(平成29)年11月21日)。

 

6、内閣が恣意的に解散権を行使すると、参議院議員の半数改選選挙も3年に1回あることから、国民は選挙疲れで関心が薄れていくことも否めない。前回の2017(平成29)年10月22日の衆議院議員選挙当時、それまでの10年で当該選挙を含めて7回国政選挙が行われていることになるが、英国、ドイツは過去10年で3回、フランスは大統領・議会選が2回、米国は大統領・議会選は3回、議会中間選挙は2回の計5回に比べるといかにも多い感がある。日本が議院内閣制の範とする英国では、2011(平成23)年に首相が都合のいい時に解散権を行使するのを制限するために、議員の任期を5年に固定し、解散には下院議員の3分の2以上の賛成が要るようにしている(日本経済新聞 大機小機 2017(平成29)年10月7日)。もっとも、EU離脱をめぐり議会が混乱しているような場合は、「総選挙を12月に実施する」という新法を過半数で可決して総選挙に持ち込むという奇策もありうるのかもしれないが。ともあれ、安倍首相には、解散権の行使について安易に憲法改正の問題にもっていくことなく、解散権の原点に戻って考えていただきたいものである。

天皇陛下の生前退位について

 

1、天皇陛下が、ビデオメッセージ「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」において、退位の意向をにじませられたのが、平成28年8月8日のことである。これに先立って、NHKによる「天皇陛下『生前退位』の意向」のスクープが報じられていたが、当初、宮内庁はこれを否定するなど不自然な経緯はあったものの、天皇陛下の「おことば」は、「現行の皇室制度に具体的に触れることは控え」、「個人として、これまでに考えて来たことを話したい」とお断りなっていることから、現行憲法上の「天皇」という立場にもとづく制約にご配慮されたものであった。この「おことば」を契機として、現行憲法上の疑義からか、「天皇の公務の負担軽減等に関する」という冠称の「有識者会議」が発足し、実質上、天皇の退位をメインテーマとする議論が始まった。天皇の退位に反対意見を述べる有識者も一定数いたものの、衆議院議長大島理森氏のとりまとめにより、皇室典範の付則にその根拠規定を設けることで、平成29年6月9日、天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立し、天皇陛下が生前退位されることになった。しかし、「おことば」の内容から考えて、あのビデオメッセージまでの過程において、天皇陛下の周辺でかなりのやりとりがあったことは想像に難くなく、実際、天皇陛下の退位の意向については、「NHKなどの報道によれば、2010年7月22日の参与会議で、天皇は退位の意向を表明。しかし、側近は『これまで象徴としてなされてきたことは国民は皆、分かっています。公務に代役を立てるなどして形だけの天皇となられても異を唱える者はいません』と翻意を促し、『違うんだ』と否定する明仁天皇と激論になったという。」(吉田裕・瀬畑源・河西秀哉編 「平成の天皇制とは何かー制度と個人のはざまで」179頁、180頁 岩波書店 2017年7月)とされており、天皇陛下はかねてより生前退位の意向を持っておられたようである。

 

2、現行憲法には、天皇の生前退位についての規定はなく、皇室典範において、皇嗣の即位は天皇が崩じたときとされているだけである(皇室典範4条)。また、現行憲法上、天皇は、内閣の助言と承認による国事行為のみを行うことができるとされていることから(憲法7条1号ないし10号)、天皇の発意で、法律と同位の皇室典範を改正することはできないものである。天皇陛下も、このようなことは十分ご承知の上で、あの「おことば」を述べられていると思われる。ではなぜ、天皇陛下は、あのビデオメッセージによる「おことば」を国民に対して述べられたのであろうか。思うに、これまで天皇陛下は、国民主権に立脚した現行憲法における「象徴天皇」の在り方についてつきつめて考えてこられ、その上で行動されてきているが、臨時代行や摂政では意味をなさない、象徴天皇ご自身だからこそ意味のある行動を今後も継続していくには、抗いようのない年齢的限界を感じられ、象徴天皇の自然な承継と皇室の安定的な行く末も考えた上で、あの「おことば」を述べられたのではないだろうか。これまで天皇陛下は、「傷つき苦しむ国民を慰藉すること、敵も味方も含めて先の大戦の戦没者たちの霊を弔うこと」を、象徴天皇としての本務と考えられ、それを全身全霊で行動に移されてきたものと思われる(内田樹「街場の天皇論」67頁 東洋経済新報社 2017.10参照)。象徴天皇としての行為には、国事行為としてのさまざまな認証行為などのほか、国会開会式へのお出ましと「お言葉」、全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会など毎年3回の地方訪問や外国ご訪問などの公的行為、さらに、その他の行為として皇室祭祀などがある(皇室祭祀などの概略については、高森明勅「天皇『生前退位』の真実」122頁以下参照 幻冬舎新書2016.10)。天皇陛下は、これらの日程を割いて、被災地のお見舞い(これまで57回)や、中国との国交正常化20年の節目に中国政府の招きで訪中されたほか(平成4年)、硫黄島(平成6年)、サイパン島(平成17年)、ペリリュー島(平成27年)、フィリピン(平成28年)などの多数の戦死者を出した戦跡へ慰霊の旅をされ、戦死者に深い思いをはせてこられており、年齢的にもかなりの無理をしてこられたことは間違いのないことであろう。被災地での慰問において、膝をつかれて、被災者にねぎらいの言葉をかけられるお姿や、戦没者慰霊の旅に際して深く頭を下げられるお姿には、ひとかたならぬ感動を覚えるものがある。だからこそ、国民の多くが天皇陛下のあの「おことば」に共感したのである。現行憲法上の象徴天皇と国民主権との関係においても、天皇陛下の象徴としての行動の実践によって、時間をかけてゆっくりと調和させていかれたものであり、そのことによって、象徴天皇としての天皇陛下が、日本国民の心の中にしっかりと定着していったものと思われる。天皇陛下の今回の「おことば」のような「公的行為」の憲法上の位置づけについて、憲法学者がいろいろ論じているが、もともとGHQの草案においても明確な定義づけのなかった「象徴天皇」について、昭和天皇の強い意志を引き継がれ、全身全霊で国民に対しての内面化に務めてこられており、その心情が国民にしっかりと定着している以上、あまり意味を持つ議論とも思えない。

 

3、現在の国会の議席数の情勢からすると、国会による憲法改正の発議が十分に考えられるが、仮にそのようになっても、天皇の象徴としての地位については、現状のまま維持されるべきである。この点、自民党の改憲草案では、天皇は「象徴」とともに「国家元首」とされ、国事行為も「内閣の進言」しか必要とされていないなど、解釈によっては、なんらかの国政に関する権能をも持ちうるようなものになっている。しかしながら、天皇陛下は、これまで、現行憲法の平和主義を尊重され、被災者や戦没者なども含め、国民にできるだけ身近に寄り添ってこられ、国民の心の中にもそのような象徴として定着しているものであるから、それをあえて国家元首にする必要まではないのではないか。というのも、天皇陛下は、戦前の「帝王学」とは大きく異なり、現行憲法の理念に即した教育をうけてこられており、天皇陛下の考え方に影響があったとすれば、青年時の英語教師であった、絶対平和主義で知られるキリスト友会(クエーカー)のフレンド奉仕団で働いていたエリザベス・グレイ・ヴァイニング夫人(吉田裕ほか編 前掲書9頁)や、イギリス生まれの日本文学研究者レジナルド・ブライス氏(「NHKスペシャル」取材班 「日本人と象徴天皇」97頁 新潮新書 2017.12)の影響が考えられる。とりわけ、ブライス氏は、4年間だったヴァイニング夫人に比べ、18年もの長期にわたっており、その影響は大きかったと考えられる。ブライス氏の秘書であった岩村智恵子氏が、興味深いエピソードを紹介している。それは、「皇太子殿下が中学1年か2年のとき、一対一で御進講しているときに、テーブルから鉛筆が落ちたことがあったんですって。そのとき、誰が拾うか、ということになって、皇太子殿下は『近い方の人が拾えば良いと思います』っておっしゃった。それで、先生は、『じゃあメジャーもってきましょうか』っていうわけ。でもね、続けて『これはねあなたが拾うべきですよ、なぜならばあなたは皇太子だから』と言ったそうです。」(「NHKスペシャル」取材班 前掲書 96頁ないし100頁)というものであるが、その後の天皇陛下の被災地慰問における行動に結びついているようにも思われる。それはともかく、自民党の改憲草案のメインは現行憲法9条にあることは間違いなく、現在の日本をとりまく国際情勢を踏まえて、どのような可憲ないし改憲が考えられるか慎重に検討されなければならないが、いずれにしても平和主義の精神は引き継がれなければならないということである。なぜなら、天皇陛下が、戦争被害を受けた内外の人々に対する反省と慰藉の言葉をこれまで繰り返し語られ、鎮魂のための旅を続けてこられたのは、象徴天皇として、現行憲法の擁護を暗に実践してこられたことになるからである(内田 前掲書38頁参照)。

 

4、天皇陛下は、皇太子時代に、最初の大きな試練をうけられている。それは、昭和50年、沖縄県で本土復帰を記念した海洋博覧会が開かれたとき、昭和天皇の名代として、初めて沖縄に行かれたときである。皇室に対する沖縄の感情は複雑であり、とりわけ、天皇の名の下に戦われた太平洋戦争で、唯一の大規模な地上戦が行われ、県民の4人に1人が犠牲となった歴史など、割り切れない気持ちがわだかまっていた。当時、沖縄文化について進講した沖縄文化研究者外間守善氏のメモには、「『何が起きるかわかりませんので、くれぐれもお気を付けられるように』と申し上げました。殿下は、『私は何が起きても受けます』と強いご覚悟でした」と記されている。実際、皇太子夫妻が「ひめゆり学徒隊」の慰霊碑に献花を行い、案内役のひめゆり同窓会会長から説明を聞き始めた時、訪問に反対する地元沖縄の活動家の青年が火炎瓶を投げつけたのだ。その決定的瞬間を撮影した、当時、読売新聞の新人報道カメラマンだった山城博明氏は、同じ沖縄県民として「県民の怒り」を捉えられたと自負したが、それ以上に印象に残ったのが、火炎瓶の先にいた皇太子の表情だったという。それは、「汗がたらたらなんですよ。この辺からもう流れ落ちてるんですよね。実際現場で直に見てね、汗を流して業務を遂行している姿を見たら、沖縄に関して関心を持たれているということはすぐわかりました」(「NHKスペシャル」取材班 前掲書 126頁ないし130頁)というものである。このように、天皇陛下は、皇太子の頃から、相当の覚悟で真摯に沖縄と向き合ってこられたものである。また、天皇陛下は、「学習院に育ち、自由といふものについても、人生の楽しみがどのやうなものかも知っていらっしゃる。」ものであるが、即位されたことについて、「日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、また、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると定められています。私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」(平成6年6月4日)と、後年、明言されている(高森 前掲書86頁、87頁)。このように自由を断念するという覚悟の上で、これまで国民に寄り添いながら全身全霊で象徴としての務めを全うしてこられたものである。その天皇陛下の「生前退位」の意向のスクープが、NHKの夜7時のニュースで報じられたのが平成28年7月10日の参議院議員選挙の3日後の7月13日というのは、単なる偶然なのだろうか。この点については、安倍政権が改憲に向かって加速するはずの選挙結果に対する天皇陛下からのメッセージと読む識者もおり、実際、フランスの「ル・モンド」紙は、「改憲を牽制する動き」だと解釈している(内田 前掲書65頁参照)。その真相はわからない。いろいろな見方はあるが、ここまで踏み込んで言及したものが一部の書籍等に限られているのは、不必要な憲法上の疑義が生じるのを避けるためであろうか。いずれにしても、すでに国民に定着した象徴天皇や現行憲法の平和主義を擁護するために、もっと発言していくべきである。

 

5, 最後に、前記3、でも引用した「NHKスペシャル」取材班による新潮新書「日本人と象徴天皇」について少し述べておかなければならない。この新書は、きわめて綿密かつ慎重な取材によるもので、その内容はかなり史実に近いものではないだろうか。この中で、昭和天皇とマッカーサーとの会見や書簡のやりとり(同書71頁)、昭和天皇のリアリズム(同書117頁)には興味深いものがあるが、なにより衝撃を受けたのは、この書籍のもととなったNHKスペシャルの番組の企画者であったプロデューサー林新氏が、亡くなる8日前に病床で口述したという「あとがき」である。その冒頭には、「『天皇』を、僕は以前は否定していました。その正当性や根拠が論理や事実で語れないこと、そして日本のあらゆる組織の『忖度』による無責任体制は、天皇制に根本があると思っていたからです。でも今、日本の近現代史を見つめてきた一人として個人的な見解を言えば、『日本に天皇はむしろ必要なのではないか』という結論を出さざるを得ないと思います。」とある。私もその結論にはまさに同感である。世俗的な政治権力とは距離をおき、「祈り」という誰もが抗えない儀礼によって精神的支柱としての存在であり続けた天皇は、やはり日本国民にとってなくてはならないものであろう。しかし、その天皇の地位にあるということは、われわれには容易に想像できないもののようである。それは、「あとがき」の最後に、天皇陛下の即位の礼の取材中、車列の中の天皇の顔をすぐ側でまじまじと見たときの忘れられない印象が語られているからである。それは、いつも穏やかな天皇の顔が、氷のように冷えきった、あらゆる感情を排した、まるで「能面」のようだったとあるからである。そのとき、林氏は、「天皇であるが故の孤独そして深い懊悩」を感じたという。われわれには計り知れない孤独と懊悩と向き合いながら、ひとえに平和裡における国民の安寧と幸福を祈っておられる天皇陛下のお姿には、ただただ頭が下がり、尊敬するしかない動かしがたいなにものかがある。

 

 

可否同数の場合の議長の一般票と決定票

会議体において、議長は、議事における公平性と中立性を要求されるが、議決に際してはどのような投票行為ができるのであろうか。会議体の構成員として、1票の一般票を行使できるのか、その場合、議決が可否同数となれば、重ねて決定票を行使できるのか、あるいは、決定票のみを行使できるだけなのか、という問題である。

 この点、「日本の公的機関では、議長は一般票を有せず(または有しても行使せず)、決定票のみを有する。明治憲法下の帝国議会以来議長や委員長は一般票を行使しない慣行である。地方自治法には、議長は一般票を有せず、タイのときに決定票を有する趣旨が明定されている(116条)。最近の例では、参議院本会議において政治資金規正法(昭51・1・1施行)の法案審議の時、自民党と野党連合が対立し、戦後の国会ではじめての可否同数(117対117)となった。河野謙三(元自民)議長が「議長は可と決定します。」と断を下して原案が可決になった。」(早川武夫 会議法の常識 80頁 商事法務研究会 昭和60年3月初版)とされている。少し古い文献ではあるが、議長としての立場を考えると、きわめて妥当であると考えられる。議事の段階では中立であったものが、議決になると一変して、どちらか一方につくというのでは、いかにも違和感をぬぐえないからである。念のため、地方自治法116条を確認してみると、「この法律に特別の定がある場合を除く外、普通地方公共団体の議会の議事は、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。②前項の場合においては、議長は、議員として議決に加わる権利を有しない。」とされており、疑義が生じないような規定になっている。

 それでは、株式会社の取締役会の議長の場合はどうであろうか。迅速な決定が要求される取締役会の性格、あるいは、会議体の通常の法則の認める処理である等の理由で、2票を認める見解もあるようであるが、一度取締役として議決権を行使した議長が再度裁決権を行使することにより決議を成立させるのは、法定決議要件の緩和にほかならず、認められない(大阪地判昭和28・6・19下民4巻6号886頁、昭和34・4・21民事甲第772号民事局長回答)。」(江頭憲次郎 株式会社法 第2版 384頁注(14) ちなみに、最新版においても同様の記載がある)とされている。

 「結論的にいえば、議長は固有票を決定票として、行き詰まりタイのときに限って投じ得る、とするのが最も妥当である。その旨の明文の規定を設けるか、少なくとも投票前に明示的にそう合意すれば、紛争ーときに国際的なーを予防することができよう。」(早川 前掲書82頁)とされており、まことに妥当な見解である。

ポピュリズムとデモクラシー~民主主義の動揺

1、ポピュリズムは、マスコミでは「大衆迎合主義」と置き換えられているが、いま一つ納得できないところがあり、いろいろ文献にあたってみると、学者も間でも一義的な定義づけはできないようである。ここではポピュリズムの定義を問題とするのではなく、デモクラシーとの関係を問題とすることから、定義については触れないこととする。一方、デモクラシーは、一般的には「民主主義」と訳されているが、これもわかったようでわからない置き換えである。というのも、「民主主義」では、一つの理念であり、正当性が付与された理想のようにも思われるからである。また、「民主主義」という言葉には、ギリシャの民主制における為政者に対する弾劾裁判や、フランス革命における支配階級や対立勢力に対する大量虐殺(ジェノサイド)や、アメリカ独立における先住民族への弾圧など、人間同士のエゴのぶつかり合いのような印象もあり、なにか得体の知れない、いかがわしいものに見えてくる面がある(長谷川三千子「民主主義とはなにか」文春新書 52頁以下など)。したがって、ここではデモクラシーを現実の政治の制度としての「民主制」の意味で使うこととする(佐伯啓思「反・民主主義論」新潮新書 102頁など)。

 

2、ところで、民主制ないし民主主義については、「独裁政治が成立するのは、民主制以外の」どのような国制からでもない」(ソクラテス)とか、「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全に賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」(ウィンストン・チャーチル)などと言われ、負の側面を持っているようである。また、一方、ポピュリズムについては、「ポピュリズムは、デモクラシーの後を影のようについてくる」(マーガレット・カノヴァン)と言われているように、なにかデモクラシーにとって胡散臭いイメージもあるようである。このように、ポピュリズムとデモクラシーにはなにか切っても切れない関係がありそうなので、この関係を考えるために、まず近代民主主義に遡ってその意味を考えた上で、現在の民主制ないし民主主義について考えていくこととする。

 

3、近代民主主義については、これを自由主義と民主主義という異質な思想の混合物として捉え、一方には、人権の擁護、個人的自由の尊重という法の支配による自由主義の伝統があり、他方には、平等、支配者と被支配者の一致、人民主権を主要な理念とする民主主義の伝統があるとする考え方がある(カール・シュミット、シャンタル・ムフ)。これは近代民主主義の「二縒り(ふたより)理論」と呼ばれているもので、デモクラシーを、自由主義の立場から解釈すると、人民主権を認めつつも、議会制を通じたリベラルな統治のあり方とそれによる権力の制限を至言とする立憲主義的なものになり、民主主義の立場から解釈すると、統治者と被治者の一致や人民の自己統治、ないし直接的な政治参加の原則によるものになるということであり、この二つの立場から、ポピュリズムをみると、自由主義の立場からはポピュリズムを警戒するようになり、民主主義の立場からはポピュリズムに民主主義の真髄を見出すことになる。

 

4、ポピュリズムの歴史的起源は、アメリカ南部・西部諸州の農民が大企業や政府の権威的な振る舞いに対して反旗を翻して行った農民運動が、社会改革運動に発展して1891年に人民党(後に民主党に合流)の結党にいたったことにあるとされている。その後、アメリカにおいては、エリート階級の固定化を嫌う「反知性主義」(権威化する知性への懐疑)の流れが生じたことからもみてとれるように、ポピュリズムは、大衆への迎合というよりは、置き去りにされ忘れ去られた大衆の反逆という観点から捉えたほうがわかりやすくなる(週刊東洋経済 2016.12.24 特集「ビジネスマンのための近現代史」 53頁)。そうすると、大衆の反逆をうまく捉えて大きなうねりにしていくのがポピュリズムであり、ポピュリズム的手法であり、ポピュリストであるということになるのではないだろうか。この意味において、ポピュリズムは、イデオロギーないし政治思想とはいえなくなり、権力やアイデンティティーを国家に集約させることで様々な問題の解決を図る政治思想、社会思想であるナショナリズムとは異なるものと言えそうである(国末憲人「ポピュリズム化する世界」59頁)。この延長で考えていくと、ポピュリズムは、大衆の直接の政治参加、いわゆるラディカル・デモクラシーに行き着くことにもなり、近代民主主義の二つの思想の中、民主主義の思想の流れにあることになる。したがって、ポピュリズムは、なんらデモクラシーと矛盾するものではなく、むしろデモクラシーの本質に根ざしたものというべきことになり、問われるべきは、どの運動がポピュリズムであるかということではなく、「ある運動がどの程度ポピュリズム的であるか」(エルネスト・ラクラウ)ということになる。

 

5、翻って、日本の政治状況をみてみると、一時期の民主党政権が打ち出した政治主導はよかったが、統治から官僚を排除することを政治主導と錯覚したために混乱が生じて挫折してしまい、民主党政権を挟んで自民党政権に落ち着く過程において、政党政治が形式主義的な多数支配に変質してしまったように思われる(山口二郎「日本における民主政治の劣化をめぐって」論究ジュリスト 09 特集 憲法”改正”問題 67頁)。現在は安倍1強政治であるが、安倍首相自身、「政治は現実だ。やりたいことを成すためには51対49でも勝つことが大事なんだ」と保守派の議員に繰り返し強調していると報道されているように(日本経済新聞 2019.3.7)、多数決における多数意思の絶対化という現象が広がっている。このような現象は、英国のEU離脱における国民投票や、日本の大阪市における住民投票の例において顕著にみられる。しかも、その手法は、マスメディアだけではなく、ツイッターやフェースブックなどのSNSを駆使した一般大衆との直接的なものになっている。客観的な事実よりも、個人の感情や信条に訴えかける情報が、瞬時に不特定多数の人々の間をかけめぐるようになり、オックスフォード英語辞典が2016年の「今年の単語」に選んだ「ポスト真実」ともいえるような状況になっている。さまざまな情報が蔓延し、情報過多てある一方、現在の日本やアメリカ、とりわけEUにおいて見られるように、高度に官僚化された政治機構を前にして、一般の大衆はなんらの決定権を持たないことから、次第に不満がたまっていくことになる。このような状況が、ポピュリズムないしはラディカル・デモクラシーを生みやすくなり、ポピュリズム的手法が効果的になってくる。ポピュリズムが勢いづくのは、左派政権の南米諸国においても、「移民排除」「政教分離」「男女平等」をかかげ反イスラムを訴える右派の国民戦線マリーヌ・ルペンが今度の大統領選で注目されているフランスなどEUにおいても同様の現象であり、結局、グローバル化により資本と情報が瞬時に世界をかけめぐる社会において、一部のエリート特権階級と一般大衆との社会的隔絶が原因となっているものである。

 

6、ポピュリズムについては、「民主主義の不均衡を是正する自己回復運動のようなもの」(吉田徹 日本経済新聞 2017.1.1「春秋」欄)とも言われるが、「ディナー・パーティーの泥酔客(それも正論を吐く)」(水島治郎「ポピュリズムとはなにか」中公新書 231頁)に例えられるように、扱い方によっては大混乱になることもあるので、単純に排除すればいいというものでないことだけは確かである。そこで、もう一度、近代民主主義の原点に立ち帰って、自由主義的な諸価値である、普遍的な人権保障、法の支配、適正手続の保障などの立憲主義の原理と衝突しないように、ポピュリズムの民主主義的効用を引き出せるような観点からの議論が大切になってきているといえる(山本圭「ポピュリズムの民主主義的効用」参照。なお、この論文は非常によくまとめられたわかりやすい論文なので負うところが多く、一部を引用させていただいている)。

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