1、「くじ引き」すなわち抽選制は、古代アテナイから民主主義の方式とされてきた伝統をもち、選挙制は貴族主義の方式だと長らく理解されてきた。しかし、18世紀のアメリカ革命やフランス革命以降、抽選制ではなく民主主義といえば選挙制だと考えられるようになった。
2、しかるに、現在の選挙制にもとづく民主主義は、株主資本主義からくる環境問題、移民問題のほか、グローバル化により肥大化したGAFAなどの寡占企業の経済活動による貧富の格差拡大の影響もあって、ナショナリズムやポピュリズムが台頭し機能不全と思われる状態に陥っている。日本の議会制民主主義においても、国会審議は形骸化して個々の法案の採決を左右しているとはいいがたく、また、次の総選挙での政権選択に結びついているとも言いがたい上、現在の国会議員には世襲議員や野心家が少なくないこともあって、政治不信からくる投票率の低下を招き、地方選挙においては無投票当選の増加現象も出てきている。
3、このような現況において、1冊の本が注目を集めている。日本においては、2019(平成31)年4月に翻訳・初版された、ダーヴイット・ヴァン・レイブルック(以下、レイブルックという)の「選挙制を疑う」(法政大学出版局)という本である。レイブルックは、ヨーロッパを代表する知識人の一人とされていり、現在、特定の研究機関には所属せず、ベルギーのブリュッセルを拠点に活躍している作家であるが、レイブルックの診断によると、民主主義疲れ症候群の原因は、現在の議会制民主主義それ自体にあるわけではなく、政治家のポピュリズムや専門家集団(テクノクラシー)の専横にあるのでもなく、代表を選挙で選出する選挙制にあるとし、対案として、代表をくじ引きで選出する抽選制の議会制民主主義、より正確にいえば、選挙制と抽選制の並立形態である二重代表制を模索している。
4、レイブルックの指摘にもあるように、有権者による統制すなわち正当性の点では、有権者が総選挙で審判を下せる選挙制のほうが優れており、能力という点でも、無能な候補者が淘汰され、政党によって支えられる選挙制のほうが優れているが、政治的機会の平等や公平な熟議という点では抽選制のほうが優れている。それは議員の選出に多様性が生まれ、金銭やイデオロギーの影響をうけにくく、政党や選挙民からより自由な立場にあるといえるからである。このように選挙制と抽選制には一長一短があるが、選挙制か抽選制の二者択一ではなく、両者の長所を組み合わせて相乗効果をもたらすことを考えていくべきであろう。
5、日本においても、「くじ」はしばしば利用されており、同時に申請された商標登録の優先順位、公売における落札者の決定、国民審査に付される最高裁裁判官の告示の順序、裁判員の選任などに利用されているほか、公職選挙法上の選挙において投票同数の場合の当選者の決定や国会における内閣総理大臣の指名においても投票同数の場合は「くじ」によるものとされている。「くじ」には偶然の要素はあるものの、低い投票率の選挙における一部の有権者の恣意や、業界団体・関係者等からの特殊利害の圧力を政治から排除できるという利点があるので、一定の合理性はあるといえる。
6、フランスにおいては、「黄色いベスト運動」に苦慮したマクロン大統領が、国民大討論会を重ねた末、新たな民主主義の手法として、人口構成を正確に反映するよう、性別、年齢、職業、学歴、居住地をもとに「くじ引き」で議員を抽出し、全国から選ばれた市民150人がパリ16区のイエナ宮で気候市民会議の議員とし、「社会的公正を守りながら温暖化ガスを2030年までに1990年比40%削減する」ための正式な政策と財源を策定している。最終案の発表は2020年4月とのことである(日本経済新聞 2020.1.12 風見鶏「プラトンと『民主主義3.0』」)。普段は政治家に対する不満ばかり言っていた市民が、ある日突然、責任をもって決断しなければならなくなる立場に置かれることは、政治の代謝を高め活性化させるといえる面がある。
7、レイブルックの「選挙制を疑う」の訳者である岡崎晴輝氏は、現役の法学部教授のまま裁判員に選出されるという得がたい機会に恵まれたことをきっかけとしてこの本を翻訳することになったが、その意味で抽選ないし偶然がこの本の上梓に作用していることになる。そして、岡崎氏は、政治学者として、抽選制による議会論を日本の国会に応用した場合、参議院議員を無作為抽出された有権者からの抽選制による市民院にするという試案を提示しておられるが(岡崎晴輝「選挙制と抽選制」 辻村みよ子責任編集 憲法研究2019.11)、能力や負担のほか憲法改正の問題も絡んでくるものの傾聴に値する議論であると思われる、